さくらのソーシャルワーク日記

社会福祉士さくらが思ったこと感じたこと

【一覧】申請主義の否定や批判は福祉の否定や批判だ

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申請主義に関する一連の記事の一覧はこちらです。

 

◾️本稿の始まり

申請主義の否定や批判は福祉の否定や批判だ - さくらのソーシャルワーク日記

 

◾️定義

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

◾️処方箋

#1 申請主義の課題を解決するための処方箋 その1 〜申請主義の課題は自己決定における権利侵害だ〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

#2 申請主義の課題を解決するための処方箋 その2 〜特定分野の議論のみで申請主義を否定してはいけない〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

#3 申請主義の課題を解決するための処方箋 その3〜本人の能力を一方的に否定して、パターナリスティックに関わることは許されない〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

#4 申請主義の課題を解決するための処方箋 その4〜申請主義を検討する上で重要となるファクターとは その1〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

#5 申請主義の課題を解決するための処方箋 その5〜申請主義を検討する上で重要となるファクターとは その2〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

#6 申請主義の課題を解決するための処方箋 その6〜申請主義を検討する上で重要となるファクターとは その3〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

#7 申請主義の課題を解決するための処方箋 7〜権利侵害の態様とは その1〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

◾️ヒント

#1 申請主義を考えるヒント 1 〜行政(役所)の職員はなぜ不親切なのか? その1〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

#2 申請主義を考えるヒント 1 〜行政(役所)の職員はなぜ不親切なのか? その2〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

■コラム

申請主義に反対する意見は、福祉の本質を理解しているか - さくらのソーシャルワーク日記

 

#1 市役所は申請主義の上にあぐらをかいているのか その1 - さくらのソーシャルワーク日記

 

#2 市役所は申請主義の上にあぐらをかいているのか その2 - さくらのソーシャルワーク日記

 

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? - さくらのソーシャルワーク日記

 

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その2 - さくらのソーシャルワーク日記

 

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その3 - さくらのソーシャルワーク日記

 

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その4 - さくらのソーシャルワーク日記

 

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その5 - さくらのソーシャルワーク日記

 

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その6 - さくらのソーシャルワーク日記

 

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その7 - さくらのソーシャルワーク日記

 

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その8 - さくらのソーシャルワーク日記

申請主義の否定や批判は福祉の否定や批判だ

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人の言動を批判的に言及することは本意ではないが、どうしても看過できないことがある。

 

それは申請主義を否定する発言、批判する発言だ。

 

申請主義が本当に福祉にとって邪魔なものでしかないのであれば、即刻廃止すればいい。

行政が「自動的に」国民を福祉の対象にする仕組みを採用すればいいだけのことだ。

 

行政が、要件を満たしていれば、申請しなくても勝手に給付金を送ってくれる。

そういう仕組みを喜ぶ人がいるかもしれない。

 

確かに行政の手続きは面倒だ。

そもそも制度があることを知らなければ申請のしようもない。

制度があることが分かっても、自分が対象であるかどうかはすぐに分からないかもしれない。

 

聞きたくても聞けない事情があるかもしれない。

申請したくても書類が難しくて、書いてあることが理解できないかもしれない。

そもそも読めない、書けないということもあるかもしれない。

申請に行けない事情があるかもしれない。

 

福祉なんて、メニューのない食堂と同じだ。

そんなことを言っていた人もいた。

 

言っていることは分かる。

 

そして、これを一般市民が言うのは分かる。

支援者や支援団体が言うのも分かる。

本人や家族、あるいは親族が言うのも分かる。

 

でも、これをソーシャルワーカーが言っちゃだめじゃないか?

少なくとも、社会福祉士は言っちゃだめじゃないか?

 

私はそう思う。

 

ソーシャルワーカーで、ましてや社会福祉士で、申請主義を否定あるいは批判している人は、社会に一石を投じるために「あえて」言っているんだと信じたい。

 

ソーシャルワーカーが申請主義を否定する、あるいは批判することは、例えば、弁護士が法治主義を否定すること、あるいは批判することに似ているように感じるからだ。

そのくらい違和感を感じる。

 

なぜか。

 

福祉はすなわち自己決定だと信じているからだ。

パターナリスティックはもちろん否定しない。

しかし、申請主義の否定、あるいは批判は、自己決定の否定、あるいは批判に思える。

 

繰り返しになるが、ソーシャルワーカーで、ましてや社会福祉士で、申請主義を否定あるいは批判している人は、社会に一石を投じるために「あえて」言っているんだと信じたい。

 

行政が自動的に国民を福祉の対象にすることを求めているのではないと信じたい。

 

お尋ねしたい。

 

あなたは、ソーシャルワーカーですか?

社会福祉士ですか?

#1 申請主義の課題を解決するための処方箋 その1 〜申請主義の課題は自己決定における権利侵害だ〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

 

 

 

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜

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本稿では、申請主義の定義について述べたい。

 

申請主義の正しい定義ってなんだろう?

 

 

言葉の定義を正しく認識することが重要

 

申請主義については、その弊害や課題がさまざまな形で議論されている。

申請主義は我が国の福祉の根幹である。ぜひ建設的な議論がなされるべきだ。

 

そして、言うまでもないことだが、申請主義について論じる前提として、申請主義という「言葉の定義」を正しく認識することが何より重要だ。

そうしないと、解決すべき本質的な課題が明確にならないからだ。

 

しかし、現在の申請主義に関する議論においては、申請主義を「曲解」あるいは「誤用」している事例が散見される。

 

これは、社会福祉士としては看過できない。

申請主義を正しく定義することこそが本質的な課題解決のためのスタートラインだと思うからだ。

この点については、後ほどご説明させていただく。

 

申請主義の定義〜申請主義とは〜

 

さて、申請主義の定義である。

端的に結論を述べよう。

 

まず、「申請」という言葉だが、これは、「行政機関に対して権利を行使するための意思表示」という程度の意味である。

つまり、生活保護であれば、生活保護を受けたいです、ということを伝えることが「申請」ということになる。

必要なのは単なる申請意思であって、書面などは求められていない点がポイントだ。

(言葉の定義と実際の運用は違うではないかというのは別の議論である。この点については別の機会に述べたい。)

 

では「申請主義」という言葉はどうか。

「主義」とは、そのような「原則や考え」という程度の意味である。

 

つまり、「申請主義」とは「意思表示によって権利行使することを原則とする」という意味になる。

 

これが「申請主義」の定義である。

 

申請主義の意義

 

我が国においては、権利の主体は国民であり、決して、国や行政機関ではない。

 

したがって、頼んでもいないのに、特別な理由もなく、行政機関が来て、「あなたを生活保護の対象にします」と言って、資産調査を始めたりすることはない。

あるいは、「介護認定を受けてもらいます」と言って、突然自宅にやってきて、認定調査を始めるなんてことは絶対にありえない。


考えるまでもなく、これは至極当たり前のことである。

国や行政機関が、特別な理由もなく、国民生活に強権的に介入することは決してないのである。

 

つまり、申請主義とは、国民一人一人を国や行政機関から介入されることのない権利の主体として認め、国民が意思表示することによって権利を行使することができるようにする、という原則を現した言葉と言える。

 

福祉の本質は個人の尊厳である。そして、尊厳の本質は自己決定である。

したがって、申請主義はまさに福祉の本質と言える。

 

申請主義を曲解する事例

 

申請主義は、権利の行使に当たって意思表示が必要という原則であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 

にもかかわらず、冒頭で述べたとおり、現在の申請主義に関する議論において、申請主義を「曲解」あるいは「誤用」している事例が散見される。

 

最たるものは、申請主義を「情報を探し、役所の窓口に自ら足を運び、申請する必要があることを指す言葉」と論じているものだ。

これは、「曲解」もいいところだ。

合っているのは、最後の「申請する必要があること」の部分だけである。

 

情報を探すのは制度の周知の問題、役所の窓口に足を運ぶのは対面主義の問題、いずれも申請主義の説明ではない。

 

申請主義を否定しよう批判しようという思いが、このような「曲解」を生み出すのだろうか。

 

申請主義を誤用する事例

 

一方で、申請主義の解決策と論じているものの中にも、申請主義の「誤用」が散見される。

 

例えば、「オンライン申請やプッシュ型の情報配信によって申請主義を乗り越える」などと述べられたものだ。

これは、ひどい「誤用」である。

 

オンライン申請は申請チャネルの多様化の問題、プッシュ型情報配信は制度の周知の問題だ。

いずれも申請主義の説明ではない。

 

ましてや、オンライン申請にしてもプッシュ型情報配信にしても、最終的に本人の意思表示が必要である。

これはまさに申請主義そのものだ。

 

申請主義を否定しよう批判しようとするあまり、解決策として論じているのが申請主義そのものであることにも気づいていないのかもしれない。

 

申請主義を曲解・誤用するあやうさ

 

世の中、申請主義を否定しよう批判しようとする議論は多い。

しかし、その多くが、申請主義を曲解、誤用している。

 

ひどいものは、申請主義の終焉、申請主義は終わるなどと謳っておきながら、職権主義まで求めるものではないと論じていたりする。

何を言っているのかと思う。

 

申請主義をことさら否定しよう批判しようとするあまり、申請主義を曲解、誤用してしまうのだろうか。

 

こうした論者の決定的な誤りは、申請主義の定義を履き違えていることだ。

もしかしたら、意図的に曲解、誤用をしているのかもしれない。

その方が、利用者本人の共感を得られやすいと思っているのかもしれない。

 

しかし、申請主義の抱える課題を本当に解決したいのであれば、やるべきことは、課題を正確に定義することだ。

脚色したい気持ちをぐっと抑えて、申請主義を正しく定義することだ。

 

そうすることで、解決すべき課題が明確になるからだ。

 

論ずべきは申請主義そのものではない

 

論じるべきは、申請主義そのものではない。

申請主義は自己決定であり、福祉そのものだ。

ソーシャルワーカー、ましてや社会福祉士が否定したり、批判することはあってはならない。

 

議論すべきなのは、申請主義の弊害、課題だ。

すなわち、解釈や運用、申請主義を実現するための具体的な手段だ。

 

具体的には、

・制度の周知方法の改善

・行政の説明能力の向上

・申請チャネル(書面等)や受付チャネル(窓口等)の多様化

・疎明資料(添付資料)の利用者負担の軽減

・行政の審査能力の向上

などを議論すべきだ。

 

申請主義の終焉などありえない

 

すなわち、否定すべきは、書面主義、対面主義、利用者疎明主義だ。

これをとらまえて、「書面主義の終焉」というのであれば、まだ分かる。

(個人的には、まだ書面のニーズはあると考えているが、この点ついては別の機会に述べたい。)

 

しかし、申請主義の終焉などありえない。

ポスト申請主義、申請主義からアウトリーチへなどと謳っているものも同様だ。

これらは、申請主義という言葉の定義を曲解あるいは誤用している。

 

申請主義は終わるなどと書くことがセンセーショナルで世間の注目を集めるとでも思うのだろうか。

だとしたら、社会福祉士としては許せない。

 

申請主義の課題を本気で解決したいなら申請主義の定義を歪めてはだめだ

 

繰り返しになるが、福祉は自己決定そのものだからである。

そして、申請主義は本人の意思表示そのものだからである。

 

私が言いたいことは、まずは正しくスタートラインにつくべきということだ。

 

申請主義に関する議論はぜひすべきだ。

課題が複雑化し、多様化している現代社会において、一人も取り残さない社会や福祉を実現する必要は極めて高い。

そのためには、現在の申請主義の課題、例えば、書面中心主義であったり、利用者疎明主義、制度の周知方法、行政の説明能力などは、即刻改善されるべきと思う。

 

しかし、そのことと、申請主義の定義を歪めてまで、世論の気を引こうとする姿勢は別だ。

それでは、本質的な課題が見えてこないからだ。

 

しつこいようだが、最後にもう一度繰り返させていただく。

 

「申請主義」とは「意思表示によって権利行使することを原則とする」という意味である。

 

#1 申請主義の課題を解決するための処方箋 その1 〜申請主義の課題は自己決定における権利侵害だ〜 - さくらのソーシャルワーク日記

 

 

 

 

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その8

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本稿は、申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か?ということについて検討しているものです。


第1回では、申請主義の権利性を確固とするため、私たち福祉関係者が取り組む必要のある、解決すべき課題を3点を挙げさせていただきました。

すなわち、

  1. 行政からの情報提供の不十分性
  2. 未申請(申請しない・できない)による漏救の放置
  3. 申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪

の3点です。


本稿では、3点目の「申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪」について、前回から引き続きご説明していきます。


以下、本稿の構成です。

申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪

 

前回の振り返り


前回は、山下(2015)の「3類型の区分け」、すなわち、

  • 「(a)市民による申請行為以前の段階」
  • 「(b)申請の段階」
  • 「(c)特定の給付に関する受給権が生じた後の段階」

の3類型のうち、(a)類型(市民による申請行為以前の段階)における裁判例について触れました。


すなわち、

「重病児の親の窓口相談に対する市の窓口担当者の対応が違法な行政指導であるとして市の国家賠償責任が認められた事例」

です。


この事例では、

  • 子が特別児童扶養手当の受給要件を満たしていた親が、
  • 窓口で対応した職員が、援助制度はないと案内をされたため、あきらめて帰宅した

というものです。

  • この事例では、特別児童扶養手当の受給要件を満たしていました。


この事例において、裁判所は、

  • 一般的な周知義務は否定したものの、
  • 窓口における情報周知について、「条理」に基づき、
  • 行政の法的義務を認め、
  • 国家賠償法の義務違反として、賠償責任を認定した

というものです。


山下は、この裁判所の判断について、

「本判決が、明文規定(の解釈)によらずに情報提供等の法的義務を認めた点において、永井訴訟控訴審以来の議論状況を一歩先に進めたことについては異論がなかろう」

と述べています。


この指摘について、私も基本的には同意するものの、次の点で、詳細な検討が必要と考えています。すなわち、

  • 山下の3類型のうち、「(a)市民による申請行為以前の段階」として分類しているものは、さらに、
  • 1)広報等による一般的な周知段階と
  • 2)窓口における周知段階(制度を特定する前の段階)
  • の2段階に分けて整理すべき。
  • このうち、裁判所が行政の裁量に委ねられていると判断した1)の段階こそ法的義務を認めるべき。
  • さらに、第2段階について、「条理」に基づき、解釈上法的義務が認められるとしても、法律上、法的義務を明記すべき。
  • ただし、法的義務を明記する上では、その内容については慎重に検討が必要。

以上の4点です。


今回は、これらの点について、裁判例を踏まえ、行政の情報の周知義務について、さらに踏み込んで検討したいと思います。


論点は一般的な周知義務


ここでの大きな論点は、一般的な周知義務です。


重病児に係る本裁判例では、

  • 窓口における周知義務を認めたものの、
  • 広報などの一般的な周知義務については、これまでの裁判例と同様に認められませんでした。

この点が、非常に大きな問題だと考えています。


広報などの一般的な周知義務について、長尾(2012)は次のように述べています。すなわち、

「広報・周知の実施については, ある程度広い行政裁量を認めざるをえない」

つまり、広報などの一般的な周知義務を行政に課すことは難しいということですが、私は、ここは諦めるポイントではないと考えています。


一般的な周知義務の重要性


これまで述べてきたように、申請の機会を守ること、これが大変重要だと考えています。

申請機会の確保は、その後の裁判上の救済に繋がるという意味で、権利擁護の最たるものだからです。


そして、この権利を守るためには、利用者本人、家族を含む広く国民が制度について認知する過程が不可欠です。


なぜなら、行政や社会福祉士を含む社会福祉関係者の力だけで、全ての国民の権利を守ることは難しいからです。


申請主義からアウトリーチを主張する論点のずれ


この点、申請主義からアウトリーチへの移行などと主張する人がいますが、論点がずれています


申請主義は権利の発現の「ルール」、すなわち決まりごと、あるいは考え方を説明する概念です。

アウトリーチは権利発現を含む支援のための手段や過程を説明するもので、そもそも、申請主義とは概念の「次元」が違います


次元が違うものを同じ土俵に乗せようとするので論点がずれ、議論にならないのです。


申請主義からアウトリーチへと主張している人は、議論が噛み合うためにも、この議論のずれについて認識する必要があるでしょう。


国民全体の福祉制度に対するリテラシーの向上が不可欠


さて、アウトリーチを行政がやるのか、民間がやるのかはともかくとして、全ての人が取り残されない社会を築いていくためには、国民全体の社会福祉制度に対するリテラシー、すなわち基礎的知識の向上を図ることが不可欠です。

 

国民の権利を守り、福祉国家としての我が国の礎を確固たるものにするには、国民と社会福祉制度の接点の裾野を広くしていくことこそが重要だからです。


この点で、私たち福祉関係者は、個人個人の支援を通じて、福祉国家の発展に寄与しているのだという意識を持つことは、大変重要と思います。


ソーシャルアクションに関する議論のずれ


この点、ソーシャルアクションこそが重要と主張する人がいます。

言わんとしていることは、個人の問題を社会課題としてとらえ、制度や仕組みを変えていくことで課題解決していこうということです。

しかし、これも論点がずれていると言わざるを得ません。


そもそも、ソーシャルアクションは手段であって目的ではありません。

そこからして、履き違えています。


制度や仕組み、もっと言えば社会を変えていくということは、国民、あるいは住民の総意によって果たされるものです。


考えるまでなく、国民の総意によるということは、民主政治の根幹です。

すなわち、民主政治の主役である国民の総意の発現こそが重要であるということです。


国民というのは、一人一人の個人です。

この一人一人の個人の意思の発現があって初めて制度や仕組みの変革に繋がっていくということです。


ソーシャルワーカーの倫理綱領を持ち出すまでもなく、社会福祉士を含む、われわれ福祉関係者が社会に働きかけていくことは大変重要です。


しかし、ソーシャルアクションを、個人の問題を社会課題として捉え、制度や仕組みを変える、あるいは新たに創るということに主眼を置くのであれば、それはソーシャルアクションではないと考えます。

端的に言えば、それは「行政が制度を作っているのと何ら違いはない」ということです。


この点についても、他の機会にご説明したいと思います。


山下の分類に基づく「4分類」


さて、話をもとに戻します。

裁判所は、一般的な周知義務と窓口における周知義務を分けて判断しています

 

とするならば、山下の分類は、以下のように改変すべきということになろうと思います。すなわち、

  1. 広報等による一般的な周知段階
  2. 窓口における周知段階(制度を特定する前の段階)
  3. 申請の段階
  4. 特定の給付に関する受給権が生じた後の段階

の4分類です。

上記の1と2は山下のいう「(a)市民による申請行為以前の段階」を2段階に分類したものです。


以下では、このうち、1と2の段階、すなわち、山下が

「(a)市民による申請行為以前の段階」

と述べた点について、先ほどの裁判例をもう一度確認したいと思います。


一般的な周知義務に関する裁判所のロジック


まず、この一般的な周知義務を課すことが難しい根拠について、先の重病児に係る裁判例を見てみます。すなわち、

「制度の周知徹底や教示等の責務が法律上明文で規定されている場合は別として、

具体的にいかなる場合にどのような方法で周 知徹底や教示等を行うかは、原則として、制度に関与する国その他の機関や窓口における担当者の広範な裁量に委ねられて」いる

(改行は私が挿入しました。)

つまり、ここはとても単純なロジックで、法律に書いていないから、義務付けできないということを述べているわけです。

 

逆にいえば、

法律に周知の方法や内容を具体的に書き込めば、法的義務を課すことは可能

ということになります。


一般的な周知を法的義務とする際の課題


この点、一般的な周知義務についても法律上、法的義務を課すべきだと主張する人がいます。

 

私も、法的義務を課すことには賛成です。

しかし、ここは、以前の記事にも書きましたが、慎重な議論が必要なところです。

 

下手な法的義務を課すと、それを盾にして、「義務を果たしている」と行政に開き直られる可能性があるからです。


例えば、次のような定めをしたとします。

「省令の定めるところにより、制度に関する必要な周知をしなければならない」

これ自体はよくありそうな規定です。
しかし、これには2つ問題があります。


法律が骨抜きにされる問題

 

1つ目は、省令(この事例の場合)に委ねてしまった場合、省令の内容如何によっては、法律上の義務が骨抜きにされてしまう可能性があるということです。

骨抜きにされないよう、法律上の何かしらの措置が必要です。


やりっぱなしになる問題

 

2つ目は、前述の繰り返しになりますが、単に「周知しなければならない」とした場合、周知するだけで行政が義務を果たしたということになってしまいます

つまり、やりっぱなしという問題が生じる可能性があるのです。

 

やりっぱなしというのは極めて悪質な問題を秘めています。

すなわち、周知の結果、国民、あるいは住民の制度に対する認知度上がったのか、あるいは、どの制度に対する認知度が低いのかという効果検証ができないということです。


一般的な周知を法的義務とする際のポイント


私としては、この2つの問題について、以下のように考えます。


PDCAサイクルの導入


端的には、法律上、PDCAサイクル、すなわち、効果検証の仕組みを導入するということです。

詳細は省令や大臣告示、あるいは通知に落としていくことは構いませんし、立法技術として当然そうあるべきです。


しかし、法律上、明確に効果検証の仕組みを示すべきです。


多様な周知方法はそもそも法形式に馴染まない


一般的な周知方法について義務化できない最大の理由は、周知方法が多岐に渡っているからです。

もちろん手段によっては、費用が高額になる場合(例えば、新聞広告や電車の中吊広告などがイメージしやすいでしょうか)もあります。


地域性の問題もあります。

地域によっては、自治会や町内会のような地域組織を活用した方が良い場合もあるでしょうし、都市部への通勤者をターゲットにするのであれば、電車の中吊り広告も選択肢になるかもしれません。

 

こうした地域の特性や事情に左右されることを、アウトプットベース、すなわち「やる事」として網羅的に示すことは困難です。

これは法律で定めるべきことではありません。

仮に国通知レベル、義務連絡レベルであったとしても、やるべきこととは思えません。

 

これが、法律上、一般的な周知義務を課すことができなかった大きな理由だと考えます。


やり方ではなく効果検証を義務付けるべき


であれば、法的義務について次のように考えるべきです。すわなち、

  • 法的義務は課すけれど、
  • やり方は地域の特性や事情に応じて実施して良い。ただし、
  • PDCAサイクルを導入して、効果検証を必ずやること

とするということです。


議会の重要性


そして、もう一つ挙げておきたいのは、議会への報告です。すなわち、法律に定めるべきこととして、

  • 効果検証の結果を議会に報告しなければならない

とすべきだと考えます。


情報の周知義務を課すという論点はこれまでも議論されていると思います。

もちろん、効果検証に言及した主張もあったと思いますが、議会への報告まで言及したものは少ないかもしれません。

しかし、私は極めて重要なポイント思います。


すなわち、

  • 地域性に基づくものであるからこそ、
  • そのチェックは、
  • 地方公共団体の議事機関であり、住民から直接選挙された議員で構成される機関である議会が行うべき

と考えるからです。


プレイヤーは行政だけではない

 

よく、行政への義務付けと言いますが、義務付けすべきは行政に限らないと思います。

 

この点、申請主義の議論の中で、「利用者対行政」という構図を利用する人がいます。

しかし、これは間違った考えです。

 

福祉に関わるプレイヤー、すなわち関係者は、仮に申請主義という切り口で見たとしても、多岐にわたります。

行政は主要なプレイヤーではありますが、行政だけがプレイヤーでもありません


そこには、議会や私たち福祉関係者、福祉以外の専門職、あるいは、当事者以外の一般市民など、数えきれないほどの人が関わっているわけです。


義務付けするのであれば、我々福祉関係者も然るべき義務を負うべきです。

言いたいことは、行政にだけ義務付けして解決する問題ではないということです。

 

行政の効果検証をチェックする機関として議会が最適


行政のアウトプット、そしてアウトカム、すなわち施策とその成果という因果関係を、しっかり行政に効果検証させることが重要です。

 

そして、行政の効果検証の結果を、しっかりチェックする役割は、議会が最も適任であることは言うまでもありません。


国の役割


アウトプットについて、地域の実情等に委ねることが適切であると述べました。

しかし、効果的な周知方法については、いくつかの方向性やパターン、手法というものが存在します。

端的に言えば、ノウハウがあるわけです。

 

国は、少なくとも技術的な助言として、地方に対する責任を負っていることは言うまでもありません。


その中でも、私は次の点については、広報などの媒体における内容まで踏み込んで、「助言」すべきと考えます。


分かりにくい現在の広報


これは、別記事でも述べましたが、現在の行政の広報(ホームページを含む)は大変情報が探しにくいと感じています。


これは、ひとえに行政の分野別、例えば、子育て、教育、文化といった内容で整理されているためです。

 

縦割りの行政組織においては、こうした分野別に編集・整理することが楽なのかもしれませんが、情報を必要としている当事者からすれば分かりにくいことこの上ありません。


情報が見つからない


例えば、子ども・子育てという切り口でも、

  • 申請が必要な手続きの周知(児童手当の更新手続きなど)
  • 相談機関の紹介(子育て支援センターなど)
  • ひとり親への支援制度の周知(ひとり親医療費助成など)
  • 子育てセミナーの案内(初めてパパママ教室など)
  • 里親の啓発周知(里親月間週間など)

このように、さまざまな情報が入り組んで掲載されています。

 

自分な必要な情報があるかどうかは、全部読んでみないと分かりません。

かくして、誰も広報をを読まないという現象が起こるわけです。


行政の文章も分かりにくい


また、行政から送られてくる文章(多くは申請を勧奨する通知で返信が必要なことも多いと思います)はとても難解です。

頑張って読まないと内容が理解できないものも多いと思います。

 

行政としては周知の義務を果たしていると言い張るのかもしれません。

しかし、読まれない・理解されない情報は、周知されていないも同然です。


情報は認知されて初めて意味を持つ


情報は「認知」されて初めて意味を持ちます

したがって、情報が認知されるようにしなければ、いくら義務付けをしたところで意味はありません

 

先ほど、PDCAサイクルを導入して効果検証をすることと書きましたが、トライアンドエラー、すなわち試行錯誤しながらこのサイクルを回していくのは非効率的です。

 

国が効果的な情報周知の「具体的な手法」を含めて、技術的な助言をすることが求められます。

 

具体的な内容は、先ほどの私の記事でもご紹介していますので、興味のある方はご覧になってください。


一般的な周知義務に関する整理


さて、以上見てきたことを整理すると、

  • 一般的な周知義務について、法律上義務付けていくことが必要。
  • 義務付けは、「法律レベルで」効果検証の仕組みを求めることが必要。
  • さらに、効果検証の結果を議会に報告して、議会がチェックに関与することで効果検証の担保をすることが不可欠。
  • そして、周知の「具体的なやり方」まで国が踏み込んで助言することで、確実に国民、住民に認知されるようにする

以上が、一般的な周知に関する義務付けの全貌です。

 

先に述べた通り、ここは非常に重要な論点です。

 

  • 法律で義務付けすることを諦めることなく、
  • また、ただ盲信的に義務付けすべきと述べるのではなく、
  • 国に対して、具体的な解決策を示していく。

これこそ、私たち、福祉関係者に求められている姿勢ではないかと思います。


次に、第二段階の周知義務、すなわち、窓口における周知について述べたいと思います。


以下は、次回に送ります。


(参考文献)


山下慎一「社会保障法における情報提供義務 に関する一考察」(2015)


長尾英彦「行政による情報提供 : 社会保障行政分野を中心に」(2012)


高藤昭「社会保障給付の非遡及主義立法と広報義務 永井訴訟京都地裁判決(本誌751号238頁)の検討をとおして」判例タイムズ766号39頁以下(1991)


赤石壽美「生存権保障下における「漏救」の法的系譜」(2003)

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その7

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本稿は、申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か?ということについて検討しているものです。

 

第1回では、申請主義の権利性を確固とするため、私たち福祉関係者が取り組む必要のある、解決すべき課題を3点を挙げさせていただきました。


すなわち、

  1. 行政からの情報提供の不十分性
  2. 未申請(申請しない・できない)による漏救の放置
  3. 申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪

の3点です。


本稿では、3点目の「申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪」について、前回から引き続きご説明していきます。

 

前回記事

以下、本稿の構成です。

申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪

 

山下による3類型による整理


前回は、長尾(2012)が「広報・周知の実施については, ある程度広い行政裁量を認めざるをえない」と述べていることに対し、私としては、むしろ一般的な周知の方を義務付けすべきと考えていることを述べました。


今回は、この一般的な周知義務について、もう一つ、裁判例を挙げて検討してみたいと思います。


山下(2015)は、「社会保障法領域における「情報」に関する法的義務」に関し、次の「3類型の区分け」を提示しています。すなわち、

(a)市民による申請行為以前の段階

(b)申請の段階

(c)特定の給付に関する受給権が生じた後の段階

の3類型です。

 

条理に基づく申請行為以前の段階での法的義務


このうち(a)類型において、「条理を根拠と して、情報提供等にかかる法的義務を導き出す裁判例が登場した」として、次の事例に関する裁判例を紹介しています。すなわち、

「重病児の親の窓口相談に対する市の窓口担当者の対応が違法な行政指導であるとして市の国家賠償責任が認められた事例」

です。


この事例の概要は次のとおりです。

  • 子が脳腫瘍(小児癌)に罹患し、長期療養しなければならなくなった。
  • このため、親は市の社会福祉課で、自身は仕事をすることができないので、何か援助してもらえる制度はないかと尋ねた。
  • 特別児童扶養手当の受給要件を満たしていたにもかかわらず、窓口で対応した市の職員は「ないです。」 と即答した。
  • そのため、親は そのような援助制度はないものとあきらめて帰宅した。

というものです。


この事例において、裁判所は、

  • 一般的な周知義務については、法律の根拠がない以上、行政の裁量に委ねられている。
  • したがって、制度の周知徹底が不十分だったとしても、法的義務に違反したものとして国家賠償法上違法となるものではない。
  • 一方で、窓口においては、「条理」に基づき、相談内容に関連する制度の適切な教示や、不明な点についての更なる事情聴取を行い制度の特定に努める法的義務を負っている。

と判示しています。

 

したがって、

  • この法的義務に違反した場合は、国家賠償法上も違反である。

との判断を示しました。


ポイントは、

  • 法律上の根拠がなくても、「条理」に基づいて、制度の周知に関する法的義務を認めたこと。
  • この法的義務違反が認められる場合は、国家賠償法上の違反となり、賠償責任を負う。

という点です。

 


この裁判所の判断に対して、山下は次のように述べています。すなわち、

本判決が、明文規定(の解釈)によらずに情報提供等の法的義務を認めた点において、永井訴訟控訴審以来の議論状況を一歩先に進めたことについては異論がなかろう

 

一般的な周知義務を認めることの意義


この指摘について、私も基本的には同意するものの、次の点で、詳細な検討が必要と考えています。すなわち、

  • 山下が、申請前行為として整理している類型は、実は、
  • 1)広報等による一般的な周知段階と
  • 2)窓口における周知段階(制度を特定する前の段階)の2段階に分けて整理すべき。
  • このうち、裁判所が行政の裁量に委ねられていると判断した1)の段階こそ法的義務を認めるべき。

と考えているからです。


この点についての説明は、次に送ります。

 

次回記事

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その8 - さくらのソーシャルワーク日記


(参考文献)


山下慎一「社会保障法における情報提供義務 に関する一考察」(2015)


長尾英彦「行政による情報提供 : 社会保障行政分野を中心に」(2012)


高藤昭「社会保障給付の非遡及主義立法と広報義務 永井訴訟京都地裁判決(本誌751号238頁)の検討をとおして」判例タイムズ766号39頁以下(1991)


赤石壽美「生存権保障下における「漏救」の法的系譜」(2003)

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その6

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本稿は、申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か?ということについて検討しているものです。


第1回では、申請主義の権利性を確固とするため、私たち福祉関係者が取り組む必要のある、解決すべき課題を3点を挙げさせていただきました。


すなわち、

  1. 行政からの情報提供の不十分性
  2. 未申請(申請しない・できない)による漏救の放置
  3. 申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪

の3点です。


本稿では、3点目の「申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪」について、前回から引き続きご説明していきます。


以下、本稿の構成です。

申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪

 

今回の概要


前回は、行政に対する一般的な周知義務に関して、「永田事件」の控訴審判決における、裁判所の判断についてご紹介しました。


永田事件の概要

父親に重度の聴覚障害がある家庭には児童扶養手当の受給資格があるのに、行政が広報義務を怠ったために制度を知らず申請が遅れ、

児童扶養手当の支給要件に該当していたにも関わらず、それを知る1年5ヶ月分の給付が受けられなかったとして、

夫婦が国と京都府に対して未払分の支払いなどを求めたものです。

 

裁判所の判断は、端的に言えば、

法律に規定がない以上、法的義務を課すことはできない

というものでした。


この点について、長尾(2012)が

「広報・周知の実施については, ある程度広い行政裁量を認めざるをえない」

と述べています。


しかしながら、私としては、むしろ一般的な周知の方を義務付けすべきと考えていることを述べました。


この一般的な周知義務について、もう一つ、裁判例を挙げて検討してみたいと思います。


以下、次回に送ります。

 

次回記事

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その7 - さくらのソーシャルワーク日記


(参考文献)


長尾英彦「行政による情報提供 : 社会保障行政分野を中心に」(2012)


高藤昭「社会保障給付の非遡及主義立法と広報義務 永井訴訟京都地裁判決(本誌751号238頁)の検討をとおして」判例タイムズ766号39頁以下(1991)


赤石壽美「生存権保障下における「漏救」の法的系譜」(2003)

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その5

f:id:sakura-diversity:20211023190824p:image

本稿は、申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か?ということについて検討しているものです。


第1回では、申請主義の権利性を確固とするため、私たち福祉関係者が取り組む必要のある、解決すべき課題を3点挙げさせていただきました。


すなわち、

  1. 行政からの情報提供の不十分性
  2. 未申請(申請しない・できない)による漏救の放置
  3. 申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪

の3点です。


本稿では、3点目の「申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪」について、前回から引き続きご説明していきます。


以下、本稿の構成です。

申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪


今回の概要


前回の最後に、行政の情報周知のあり方として、

  • 広く一般的に周知を行う方法
  • 相談に来た人に個別に周知を行う方法(個別周知)

の2つの方法があることをご説明しました。

この2つに分けるという考え方については、長尾(2012)が次のように指摘しています。すなわち、

「一般公衆を対象とした一般的広報活動と,

窓口などにおける個々の申請 (希望) 者に対する助言・教示等とを,

いちおう区別して考える思考方式が有益になると思われる」

との指摘です。

(改行は私が挿入しました。)


長尾の言う

  • 「一般的広報活動」と
  • 「窓口などにおける個々の・・・助言・教示等」

に区別して考えることは、裁判例に照らして考える上で、大変有益な区分と思います。


以下では、この整理を踏まえて検討していきたいと思います。


判例から問題点を考える


まず、問題の所在を確認しておきたいと思います。

すなわち、なぜ行政の情報周知が問題になるのかという点です。


端的な問題意識は、

  • 申請に必要な情報提供を行政に義務付けることは、
  • 申請の機会を逃さないということだけでなく、
  • 申請することで不服申し立ての機会を得るという点で、
  • 権利性を担保する上で重要

だということです。


先ほど、情報提供の二段階説についてご説明しました。

過去の判例を見ていくと、裁判所もこの二段階について念頭に置いて、行政の情報提供の義務性について検討していることが分かります。


早速見ていきましょう。

 

一般的な周知義務〜永田事件の概要〜


まず、一般的な周知義務について考えたいと思います。


判例は、行政の広報義務が争点になったことで大変有名な「永田事件」を挙げます。

これは、児童扶養手当に支給について争われたものです。


事件の概要は、

  • 父親に重度の聴覚障害がある家庭には児童扶養手当の受給資格があるが、
  • 行政が広報義務を怠ったために制度を知らず申請が遅れ、
  • 児童扶養手当の支給要件に該当していたにも関わらず、
  • それを知るまでの1年5ヶ月分の給付が受けられなかったとして、
  • 夫婦が国と京都府に対して未払分の支払いなどを求めたもの

です。


 一般的な周知義務に関する裁判所の判断


結論において、裁判所は、行政の一般的な周知義務について認めませんでした。

次に、その経緯を見てみたいと思います。


まず、一審(京都地裁)では行政の広報義務を認め、国に対し未払分の一部の支払いを命じました。

しかしながら、控訴審(大阪高裁)では、この一審判決を取り消し、夫婦側の請求を全面的に退けました。


裁判所は、一般的な周知義務について、

「法律がこれを法的義務 として規定しているかどうかによって決まるものと解するよりほかはない」

と判示しています。


つまり、法律がない以上、法的義務はないと判断したわけです。


その理由としては、

「その内容や範囲が必ずしも明確とはいえない広報や周知徹底を

公的強制力をもって強要するような法的義務を

無理なく導き出すことは困難であるから」

と判示しています。

(改行は私が挿入しました。)


一般的周知義務を課すことの妥当性


この裁判所の判断について、長尾は「不満である」としつつ、「個別周知」との対比の中で、次のように述べています。

「広報・周知の実施については, ある程度広い行政裁量を認めざるをえない」


しかしながら、私としては、個別周知よりも、むしろ一般的な周知の方を義務付けすべきと考えています。

 

理由を端的に述べれば、

  • 一般的な周知の方が行政のアウトプットに基づいた外形的判断に馴染むから、

です。

この点については、この後ご説明する、「個別的周知」を義務付けるべきかという点とを比較しながら、改めて述べたいと思います。


以下、次回に送ります。

 

次回記事

申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その6 - さくらのソーシャルワーク日記

 

(参考文献)


長尾英彦「行政による情報提供 : 社会保障行政分野を中心に」(2012)


高藤昭「社会保障給付の非遡及主義立法と広報義務 永井訴訟京都地裁判決(本誌751号238頁)の検討をとおして」判例タイムズ766号39頁以下(1991)


赤石壽美「生存権保障下における「漏救」の法的系譜」(2003)