さくらのソーシャルワーク日記

社会福祉士さくらが思ったこと感じたこと

#2 申請主義の課題を解決するための処方箋 その2 〜特定分野の議論のみで申請主義を否定してはいけない〜

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記

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本稿は、「申請主義の否定や批判は福祉の否定や批判だ」と述べたところから始まっている。

その意図するところは、前回の記事で述べたとおりである。


前回の終わりに、申請主義の課題は「自己決定における権利侵害である」と述べた。

本稿では、まず、自己決定における権利侵害のさまざまな態様を分類することの意義を述べるところからスタートしたい。


なぜ態様を分類することの意義を述べる必要があるのだろう?

理由は明快である。

権利侵害の態様を分類することが、申請主義の課題を改善していく前提として、最も重要な論点の一つと考えるからだ。


この理由も明快である。

前回述べたとおり、権利侵害とは、すなわち自己決定上生じる支障である。

そして、この態様はさまざまだからだ。

具体的に述べよう。


申請主義を否定、あるいは批判する議論の中には、我が国の福祉制度全般について語っているように見せながら、生活保護や生活困窮のみを念頭においたものがある。

しかし、これは明らかなミスリードだ。


いつまでもなく、福祉制度の対象は生活保護や生活困窮だけではない。

対象者をごく限定的に挙げれば、児童、低所得者、ホームレス、非行少年、犯罪者、外国人、犯罪被害者、高齢者、障害者、ひとり親、依存症患者など、数多くの福祉を必要としている人がいる。

そして、社会的な課題についてもごく限定的に挙げれば、虐待、DV、貧困、就労支援など、さまざまあり、これらが複合的に現れるケースも多い。

 

前述したとおり、申請主義を否定、あるいは批判する議論の中には、我が国の福祉制度全般について語っているように見せながら、生活保護や生活困窮のみを念頭においたものがある。

生活保護や生活困窮は一つの分かりやすい事例として挙げたということかもしれない。

しかし、ソーシャルワーカー、ましてや社会福祉士であれば、看過できない問題が潜んでいる。

すなわち、福祉においては、本人とその環境はそれぞれ異なるという点である。

当事者や社会的課題が異なればなおさらである。

 

この点について、例を挙げながら説明したい。

福祉におけるエコシステムの中で、本人が周辺の環境と一切の接点なく生活しているということはまれであろう。

そして、その周辺環境はまさに千差万別である。

例えば、ひとり親で生活に困窮している場合だ。

本人(ひとり親)、子のほかに、ひとり親の両親、兄弟姉妹、就労先、子どものかかりつけ医、保育園、行政、買い物をしているスーパー、近隣住民などが考えられる。

しかし、ひとり親は、こうした周辺環境との関わりが疎遠である可能性も高く、その場合、社会での孤立を生む可能性もある。

それに加えて大きな問題もある。

日頃、仕事をしながら、一人で子育てをするという生活の中で、仮に生活が厳しくなってきたとしても、必要な情報を収集する時間もなく、頼れる人もなく、役所に相談に行きたくても平日働いているため、日中、相談の電話をかけることも、ましてや行くこともできない。

これでは、本人がいかに能力があってもどうしようもない。

このままでは、ひとり親という(あえて言えば)不運な状況の中で、不運な状況が本当に課題として顕在化してしまう可能性がある。

これは避けなければならない。


もう一つの例を挙げる。

高齢の親と暮らす知的障害者の例である。

本人と両親、そして兄弟姉妹、昔から本人をよく知っている近所の人、通所施設の施設長や職員、行政、障害者の友人、その両親など、多くの人がこれまでに関わってきた。

本人は自分で理解し判断することは難しい面もあるが、両親の強いサポートと周辺の人の助けによって生活をしていくことができている。

障害という不運な状況ではあったが、現在のところ何か課題として顕在化するという状況ではない。


この2つの事例だけ見ても、本人と周辺の環境によって、課題の状況は異なってくる。

 

申請主義をめぐる議論で、真っ先に違和感を感じることの一つは、本人やその周辺環境を捨象して、論者に都合の良い面だけを見せていることである。

したがって、申請主義について語る際には、少なくとも、当事者が誰なのか、どのような社会課題なのかを明らかにしなければ、議論が偏ったものになってしまうことに注意が必要である。

この点については、ソーシャルワーカー、ましてや社会福祉士であれば、「当然」のことと考える。


仮に、生活困窮者支援に関わってる人が、その文脈の中で申請主義を否定、あるいは批判しているのであれば、文脈から理解できなくはないが、論者として、ましてや福祉に関わる者としては、その前提は明らかにすべきであろう。

 

こうして見てくると、福祉制度全般をとらまえて、申請主義を一律に否定、あるいは批判することに妥当性がないことは理解いただけると思う。

ソーシャルワーカー、ましてや社会福祉士としては、福祉制度全般を一律に捉えるのではなく、それぞれの当事者や社会課題に応じて、申請主義の課題を個別的に分析していくことが必要であることは言うまでもないことである。

その上で、申請主義の課題を類型化していくのである。

 

私は、申請主義について語ることまでを否定するものではない。

課題をいかに改善すべきか、大いに議論されるべきであろう。

しかし、議論の前提をまず整理しなければ、単なる論者にだけ見えている、表層的な問題の解決に議論が終始してしまう。

もちろん、ソーシャルワーカー社会福祉士であっても、特定の福祉分野、あるいは社会課題分野で活動している人が多いだろう。

議論がその特定分野に限定されていても大いに結構だと思う。

しかし、その特定分野の議論を、さも我が国の福祉制度全般の問題のように述べる手法には違和感を感じるということを指摘しておきたい。


さて、今回は、権利侵害の態様を分類整理する前提として、当事者や社会課題に応じて検討すべきことを述べた。


次回は、分類整理していく上でのCKF(クリティカルキーファクター)となる、帰責性について検討していきたい。