さくらのソーシャルワーク日記

社会福祉士さくらが思ったこと感じたこと

DaiGoの発言は、我が国に対する宣戦布告である

f:id:sakura-diversity:20211007113118p:image

DaiGoが、生活保護受給者やホームレスの命はどうでもいいなどと発言したことに関して、一言述べたい。

 

 

すでにさまざまな人が批判している通り、私も、このような発言は決して許されないと思うし、差別発言、不適切発言というよりも、もっと悪質な、あえて言えば、優生思想に直結するような、極めて危険な思想の煽動を行なったものとして、全国民を震撼させる、いわばテロの予告のような極めて重大な犯罪に準ずる行為であると感じた。

 

したがって、本人が反省しているかどうかということも大変重要なことではあるが、むしろ、国が、あるいは国民が、このことに対して、どう毅然とした態度で立ち向かうかということの方が重要なのではないかと思う。

 

この点、支援4団体の共同声明の中で、菅総理に対して、本発言が許されないこと、生活保護は国民の権利であることを全国民に伝えることを求めているが、これは、あながち的外れではないと考える。

 

まさに、我が国のリーダーが、国家の安寧を脅かす重大事態と認識して、国民に対して、この発言が許されないこと、そして、我が国の福祉の理念を改めて認識させられるかという、まさしく政治マターの問題になっているからだ。

 

また、声明にもあった、スポンサー企業等の対応にも注目する必要がある。

毅然とした態度を社会全体で共同して取っていく上で、企業の影響力は大きい。こと、スポンサー企業であればなおさらである。

企業が我が国の一員として社会的責任を果たす意味からも、明確に、こうした、国民生活を脅かす発言をすることに対して、毅然とした態度を取ることが求められている。

 

そして、最も重要なのは私たち自身の態度だ。

特に、200万人以上とも言われているフォロワーがこの発言をどう受け止めるのかが、極めて重要だ。

 

本人が反省しているからとか、普段から過激な発言をしている人だからとか、本当に人を殺したわけではないとか、これまでの社会への貢献が大きいとか、さまざまな擁護論が出ていると思う。

これをもって全てを否定すべきではないと言いたい気持ちもあるだろう。

 

しかし、少なくとも、一旦は、この我が国を恐怖に陥れた発言をしたことに対して、何かしらの行動をとる、ということが求められているのではないか。

 

本人の謝罪よりも何よりも重要なことは、この発言に対する社会の態度だ。

 

社会が一致団結して毅然とした態度を取らなければ、これからも、第2第3のDaiGoが登場する可能性があるし、ほとぼりが冷めれば本人だって同様の発言をするかもしれない。

そして、何よりも恐ろしいのは、この発言に扇動された事件が本当に起こってしまうかもしれないことだ。

 

これこそが、我が国が避けなければならない、最悪のシナリオだ。

 

私たち、そして社会が、今、本気でこの発言に対して怒らなければならない。

 

私たちこそが試されているのだ。

 

そして、本人については、謝って済むことではないことは、言うまでもない。

これは、家で独り言を言ったわけではない。友人とTwitterで交わした呟きでもない。

 

公然と社会を恐怖に陥し入れる発言をしたのだ。

 

これが今犯罪にならないとしても、本人がすべきことは、まさに更正というべきであろう。

何が自分にそのような非道なことを言わせてしまったのか、とことん自分と向き合うことである。

 

ホームレスや支援者などから話を聞くなどとあったが、それは本質的な解決策にはならない。

少なくとも、今やるべきことではない。

 

やるべきことは、自分自身の更正であり、自分と向き合い、なぜあんな非道なことが言えたのか、言ったのかをとことんまで突き詰めることだ。

 

それができて初めて、ホームレスや支援者と話をすることができるレベルに達するのであって、今は彼らと話をする資格もないし、そのレベルに達していないと自覚するべきだ。

 

この問題は、我が国へのいわば宣戦布告として、全国民の問題と考えるべきレベルであることを指摘しておきたい。