申請主義の否定や批判は福祉の否定や批判だ
人の言動を批判的に言及することは本意ではないが、どうしても看過できないことがある。
それは申請主義を否定する発言、批判する発言だ。
申請主義が本当に福祉にとって邪魔なものでしかないのであれば、即刻廃止すればいい。
行政が「自動的に」国民を福祉の対象にする仕組みを採用すればいいだけのことだ。
行政が、要件を満たしていれば、申請しなくても勝手に給付金を送ってくれる。
そういう仕組みを喜ぶ人がいるかもしれない。
確かに行政の手続きは面倒だ。
そもそも制度があることを知らなければ申請のしようもない。
制度があることが分かっても、自分が対象であるかどうかはすぐに分からないかもしれない。
聞きたくても聞けない事情があるかもしれない。
申請したくても書類が難しくて、書いてあることが理解できないかもしれない。
そもそも読めない、書けないということもあるかもしれない。
申請に行けない事情があるかもしれない。
福祉なんて、メニューのない食堂と同じだ。
そんなことを言っていた人もいた。
言っていることは分かる。
そして、これを一般市民が言うのは分かる。
支援者や支援団体が言うのも分かる。
本人や家族、あるいは親族が言うのも分かる。
でも、これをソーシャルワーカーが言っちゃだめじゃないか?
少なくとも、社会福祉士は言っちゃだめじゃないか?
私はそう思う。
ソーシャルワーカーで、ましてや社会福祉士で、申請主義を否定あるいは批判している人は、社会に一石を投じるために「あえて」言っているんだと信じたい。
ソーシャルワーカーが申請主義を否定する、あるいは批判することは、例えば、弁護士が法治主義を否定すること、あるいは批判することに似ているように感じるからだ。
そのくらい違和感を感じる。
なぜか。
福祉はすなわち自己決定だと信じているからだ。
パターナリスティックはもちろん否定しない。
しかし、申請主義の否定、あるいは批判は、自己決定の否定、あるいは批判に思える。
繰り返しになるが、ソーシャルワーカーで、ましてや社会福祉士で、申請主義を否定あるいは批判している人は、社会に一石を投じるために「あえて」言っているんだと信じたい。
行政が自動的に国民を福祉の対象にすることを求めているのではないと信じたい。
お尋ねしたい。
あなたは、ソーシャルワーカーですか?
社会福祉士ですか?
#1 申請主義の課題を解決するための処方箋 その1 〜申請主義の課題は自己決定における権利侵害だ〜 - さくらのソーシャルワーク日記