#2 市役所は申請主義の上にあぐらをかいているのか その2
申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記
前回からの続きである。
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市役所が本来の役割を果たしていないことが申請主義の批判に繋がっている
繰り返しになるが、申請主義とは、申請意思を示すことで権利行使することを原則とするものだ。
そして、申請意思は、通常は市役所などの行政機関に対して行われる。
にもかかわらず、市民の権利行使に応えるべき市役所が本来の役割を果たしていないのだとしたら、申請主義に対する批判に繋がってもおかしくない。
申請主義なんておかしい。
市役所が自ら対象者を特定して給付の対象にすべきだ。
市役所のいわば怠慢とも呼べるような状況に出くわしてしまったら、こう主張する論者が現れてもなんら不思議ではない。
しかし、本当に「市役所が自ら対象者を特定して給付すべき」なのだろうか?
市役所が自ら対象者を特定して給付すべきか?
この点は大変重要なので、例を挙げて検討したい。
○生活保護の場合
生活保護は、言うまでもなく申請主義だ。
申請保護の原則により、申請意思がなければ保護を受けることはできない。
申請主義はおかしい。
市役所が自ら対象者を特定して給付の対象にすべきだ。
ある日、福祉事務所の職員が突然訪ねてきて、
「あなたを保護の対象にするので、生活状況を確認させてもらいます」
と言って、突然家の中に上がってくる。
そんなことが許されるだろうか。
○介護給付の場合
ある日、市役所の認定調査員が突然訪ねてきて、
「あなたを介護給付の対象にするので、認定調査をさせてもらいます」
と言って、突然家の中に上がってくる。
そんなことが許されるだろうか。
申請主義はおかしい。
市役所が自ら対象者を特定して給付の対象にすべきだ。
本当にそうだろうか?
職権主義(措置)が求められているのか
この点については、申請主義の対義語・反対語から考えてみたい。
○申請主義の対義語・反対語
申請主義の対義語、あるいは申請主義の反対語は、職権主義、すなわち措置だ。
これは、まさしく、
市役所が自ら対象者を特定して給付の対象にする
という仕組みのことだ。
申請主義はおかしい。
こう主張する論者がいる。
だとすると、申請主義はおかしいと主張する論者の結論は、職権主義、すなわち措置を原則とすべきということになる。
しかし、本当にそうだろうか?
○職権による保護は例外
生活保護においては、急迫した状況では、職権による保護が認められている。
しかし、職権による保護はもちろん例外的なものだ。
○申請主義を否定・批判している論者は職権主義までを求めていない
前述したとおり、申請主義を否定したり、批判している論者がいる。
こうした論者のほとんどは、申請主義を廃止して、職権主義、すなわち措置を原則とすべきだ、とまでは言っていない。
これは申請主義を否定・批判することと矛盾しないか?
○なぜ、申請主義を否定・批判するのか
では、そうした論者は、なぜ申請主義を否定したり、批判するのだろうか。
一つの考えとしては、その方が世論の受けがいいから、ということだろう。
申請主義の定義を曲解し、誤用し、自らの都合の良い解釈をして見せれば、いかにも申請主義が悪者のように見えてくる。
○申請主義の定義を曲解・誤用したことのツケ
しかし、この手法は大変危険だ。
なぜなら、解決すべき問題を正しく定義しなければ、本質的な問題の解決を困難にするだけだからだ。
世論に自分の主張を都合よく見せたい、という気持ちは分かる。
しかし、本当に問題を解決したいと願っているならば、その気持ちは抑えなければならない。
そうした論者が、人の助けになりたいと願う気持ちは分かる。
だとするならば、そうした論者に必要なのは、申請主義は守るべき存在だと認めることだ、
問題なのは、申請主義ではなく、行政なのではないか?
言葉のもつ力
言葉の力は、とてもパワフルだ。
(言うまでもないが、言葉とは発語のことを指しているのではない。)
世の中の全ての問題は、言葉によって解決されると言ってもよいほどだ。
逆に、言葉がなければ、世の中の問題は解決されねいだろう。
だからこそ、議論の前提となるの言葉には拘らなければならない。
申請主義を否定・批判する論者に聞きたい。
申請主義の壁ではなく、行政の壁ではないのか?
○多くの申請主義の否定・批判は申請主義を曲解・誤解している
言葉の綾(あや)だという人もいるかもしれない。
しかし、これは綾でもなんでもない。
単なる、曲解であり、誤用だ。
まず、この点を認めるべきだ。
○問題の本質的な課題を解決するためには、申請主義を否定・批判したい気持ちを抑えなければやらない
確かに、申請主義を否定したり、批判したりすることは、とても分かりやすい。
しかし、問題の本質的な課題を解決したいと思っているならば、申請主義を否定したい、批判したいという気持ちをぐっと抑えるべきだ。
申請主義は守るべきもの
そして、繰り返し述べているように、申請主義を否定したり、批判することは、個人の尊厳を否定、あるいは批判することだ。
この事実を、そろそろ認めるべきだ。
申請主義は守るべきものだ。
批判すべきは、行政だ。
改善すべきは、解釈や運用だ。
福祉の本質を理解しているならば、個人の尊厳を守りたいのならば、本質的な問題を解決しなければならない。
申請主義の否定や批判に逃げてはだめだ。