さくらのソーシャルワーク日記

社会福祉士さくらが思ったこと感じたこと

申請主義に反対する意見は、福祉の本質を理解しているか

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記

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申請主義に反対する意見は少なからずある。


これまでの議論からも明らかであるが、申請主義に反対する意見は、極めて自然なことと思う。


この点について、私は、以下のように述べている。

福祉なんて、メニューのない食堂と同じだ。

そんなことを言っていた人もいた。

 

言っていることは分かる。

 

そして、これを一般市民が言うのは分かる。

支援者や支援団体が言うのも分かる。

本人や家族、あるいは親族が言うのも分かる。

行政はどんなに苦しい時でも、手を差し伸べてくれない。

問い合わせても教えてくれない。

窓口に行っても申請すらさせてくれない。


これらが、すべて申請主義がもたらした災いなのだとしたら、申請主義に反対する声が上がっても、何ら不思議ではない。


むしろ、極めて自然な感情だ。


これに対して、私は、次のように述べさせていただいた。

でも、これをソーシャルワーカーが言っちゃだめじゃないか?

少なくとも、社会福祉士は言っちゃだめじゃないか?

この理由は明快である。


福祉の本質は、個人の尊厳である。

そして、個人の尊厳は自己決定である。


申請主義は自己決定そのものだ。


したがって、申請主義の否定、あるいは批判は、自己決定を否定すること、あるいは批判することだ。


すなわち、福祉の本質である、個人の尊厳を否定すること、あるいは批判することだからである。


この点について、私は次のように述べている。

ソーシャルワーカーが申請主義を否定する、あるいは批判することは、例えば、弁護士が法治主義を否定すること、あるいは批判することに似ているように感じるからだ。


福祉に関わる人間は、個人の尊厳を守る最後の砦だ。

ソーシャルワーカー、ましてや社会福祉士が、申請主義を否定したり、批判することは許されない


福祉の本質を理解しているからこそ、我々、福祉に関わる人間は、申請主義と、すなわち個人の尊厳と正面から向き合っているのだ。


申請主義の否定や批判に逃げてはだめだ。