申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か?

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記


申請主義は、行政の財政負担を軽減しているという指摘があります。


これは本当でしょうか?


本稿では、申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か?ということについて考えたいと思います。


以下、本稿の構成です。

少し長くなるため、分割して掲載したいと思います。


目次


国による経費削減政策


まず、これまでの経緯について考えてみたいと思います。


確かに、これまでの我が国の救貧対策においては、経費節減のため、

  • 国民への制度の流布の制約や、
  • 対象の厳格化

を図ってきたという経緯があります。


このことについては、赤石(2003)の「生存権保障下における「漏救」の法的系譜」で詳しく論じられています。


赤石の指摘は、大変示唆に富んでおり、別の機会に詳しく検討したいと思いますが、大変重要と思われる指摘があるので、ここでは、その一点だけ取り上げさせていただきます。


経費削減のため国による積極的手立てがなかった

 

すなわち、「保護の運用上、漏救に対する積極的手立ては一貫して講じられることがな」かったと指摘している点です。


取り上げられているのは生活保護の事例です。


戦後の生活保護法において、申請保護の原則が定められました。

これは、申請主義を導入し、生活保護の権利性を明確にしたということを意味しています。


問題なのは、権利性を明確にしたにもかかわらず、国は積極的な利用を抑制しようとした、ということです。


国としてアクセルとブレーキを同時に踏むようなことをした目的は何でしょうか?


それが経費節減です。


理由は明確です。

納税者が減って、保護受給者ばかり増えれば、国が財政面で立ち行かなくなると考えたからです。


経費削減は措置の時代からあった考え


しかし、この経費削減という考え方自体は、措置の時代からあったものであるということに注意が必要です。


すなわち、申請主義の導入と同時に、国が経費削減に奔走し始めたということではないということです。


措置であっても、申請主義であっても、国の経費節減という考え方は変わりません。

したがって、明石のいう「漏救」は、申請主義に始まったものではない点を改めて確認しておきたいと思います。


申請主義の国民の権利としての意義


むしろ、申請主義の導入によって、国民の権利としての社会保障の地位は揺るぎないものとなった点に注目すべきです。


この意味において、我々福祉に関わる者としては、申請主義の導入を歓迎すべきだからです。


しかし、申請主義ならではの課題も登場したことも事実です。


福祉関係者としては、申請主義を歓迎しつつ、申請主義が真に国民のためになるように課題の解決に尽力すべきだというのが、正しい考え方ではないかと思います。


仮に、国が経費削減のために、意図的に制度を骨抜きにしようとしているのであれば尚更です。


申請主義の権利性を確固とするための課題


以上を踏まえて、我々福祉関係者が取り組むべき、解決すべき課題について検討します。

具体的には、以下の3点を挙げさせていただきます。


すなわち、

  1. 行政からの情報提供の不十分性
  2. 未申請(申請しない・できない)による漏救の放置
  3. 申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪

です。


順にご説明させていただきます。


行政からの情報提供の不十分性


 行政からの情報提供と申請主義はセットと考えることが妥当


行政からの情報提供については、高藤(1991)の指摘が非常に分かりやすいので、ここで引用します。


すなわち、「一般の住民はせっかく自己に対する給付立法がなされても, それを知らなかったために失権してしまうことが多い。

政府当局による十分な広報活動を伴わないとき, いかに優れた社会保障給付制度も画餅に帰する」との指摘です。


この指摘からも言えることは、行政からの情報提供と申請主義はセットと考えることが妥当だということです。


つまり、行政からの情報提供が十分になされないと、申請主義を導入したことによる権利性の発揮が損なわれるということです。


申請主義と行政からの情報提供を一旦切り離して考えるべき


この申請主義の権利性が阻害されるという問題は、前述した赤石の指摘からも明らかなように、国の、

  • 積極的な利用を抑制しよう、
  • 意図的に情報を抑制しよう

という意図が見え隠れすることで、さらに複雑化しています。


私としては、この問題はもっとシンプルに考えるべきと思っています。


すなわち、申請主義と行政からの情報提供を一旦切り離して考えるべきということです。


粘り強く国に対して要望していくことが重要


これは敢えて述べますが、行政が意図的に情報を抑制して、申請主義の導入による権利性の発揮を骨抜きにしようとしているとの考えについては、ミスリードになる可能性があり、注意が必要と考えています。


そのような意図が仮に行政にあったとしても、現代において、国が積極的に情報の抑制に努めているという明確な根拠はありません。(明確な「指示文書」のようなものが出てくれば別ですが。)


積極性に欠けるという意見もあると思いますが、それを言ってしまうと、「ではどこまで情報提供すべきか」という問題になってしまいます。


この議論は、基準があいまいなままでは抽象的な議論に終始してしまう可能性があることが懸念されます。


したがって、この点について、私は、

  • 国の広報の状況を見守りつつ、
  • 地道に、粘り強く国に対して要望していくこと

が重要だと考えています。


国や行政機関などに対する義務付けは慎重に検討すべき


また、国や行政機関に対し、情報周知の義務付けをしていくという考え方もあります。


国に積極的な周知を求めていくという意味での義務付けであれば異論はありません。

しかし、この点についても、慎重な検討が必要とも思います。


理由は、

  • 基準次第では、国の周知義務が骨抜きになってしまう可能性があるから

です。

 

具体的に説明します。


周知の義務について法律に明記されたとしても、その方法や頻度についてまで法律に定められることは考えにくいです。

その場合、大臣告示(厚生労働大臣の定める基準)など下位の法規範で定められることになります。


そうなると、国にとって都合の良い基準を定められてしまう可能性が懸念されます。

 

すなわち、

  • 現在よりも周知の方法や頻度が改悪されたとしても、
  • 法律上は義務を果たしているものとされてしまう可能性がある

ということです。


また、地方公共団体については、その方法や基準を条例等で定めることになります。

地方において、十分に議論が尽くされれば良いのですが、国と同様に、現在よりも方法や頻度において改悪されてしまう可能性も否定できません。


したがって、義務付けの大前提として、

  • 周知の方法や頻度がなどの具体的な基準に関する議論が深まり、
  • 基本的な方向性を法律レベルで書き込むことができること

が、マストであることを指摘したいと思います。

 

これが、最初に「慎重な検討が必要」と述べた理由です。


なお、行政の情報提供を義務付けすべきとの論点については、3点目の課題(申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪)で、改めて触れたいと思います。


通知主義への転換という頓珍漢な議論


さらに関連して述べれば、「申請主義から通知主義に転換すべき」との意見もありますが、これもまた頓珍漢な話だと考えています。


「通知主義」という言葉の意味は論者によってさまざまだと思いますが、申請主義との対比で一般的に述べられているのは、行政から積極的に情報発信すべきということだと思います。


しかし、これまでの説明からも明らかなように、そのような意味での「通知主義」は、まさしく申請主義を補完するものです。


すなわち、申請主義と論者のいう通知主義は「択一的な関係ではない」ということです。


にもかかわらず、「申請主義から通知主義に転換すべき」のように択一的な関係で捉えようとするから、「頓珍漢」だと感じるわけです。

 

○まとめ


以上を踏まえた私の意見としては、

  • 申請主義を一旦肯定した上で、
  • その課題として行政からの情報提供の程度や在り方を考えるべき

ということになります。

 

結論においては非常にシンプルな内容ですが、これを「そりゃそうだよね」と感じていただければ本稿の目的は一つ果たせたかなと思います。


論点の2点目以降については、次回に回します。

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記


(参考文献)


高藤昭「社会保障給付の非遡及主義立法と広報義務 永井訴訟京都地裁判決(本誌751号238頁)の検討をとおして」判例タイムズ766号39頁以下(1991)


赤石壽美「生存権保障下における「漏救」の法的系譜」(2003)

#7 申請主義の課題を解決するための処方箋 7〜権利侵害の態様とは その1〜

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記

目次


前回までの振り返り


前回までを簡単に振り返りたい。


経緯


本稿は、申請主義の否定や批判は福祉の否定や批判だと述べたところから始まる。

その意図するところは、第1回の記事をご覧いただきたい。


 

申請主義を検討する上で重要な3つの要素


前回まで、申請主義を検討する上で重要なファクターとなる3つの要素について検討してきた。

すなわち、登場人物、プロセス、能力の3つである。

 


能力については、さらに、3つの要素に分けて検討した。

すなわち、事実ベース、具体ベース、そして前回ご説明した実現可能性である。

 

ここまでが、前回までの振り返りである。

 

申請主義に関わるファクターの緻密な分析の必要性とは


これらの検討は、申請主義に関わるファクターを緻密に分析してきたということである。

 

では、なぜこのような分析が必要だったのか?


それは、申請上の課題、すなわち本稿でいう「権利侵害」の態様を分類するためである。


より具体的には、権利侵害の態様を分類する上で、重要な要因となる「帰責性」の本質を検討するためである。


言い換えれば、権利侵害の態様を分類するというのは、すなわち、申請上の課題がどのような力学で生じているのか、それを分類整理するということに、ほかならない。

 

次回


今回は、少し分かりにくかったかもしれない。

次回は、具体例を挙げてご説明したい。

#6 申請主義の課題を解決するための処方箋 その6〜申請主義を検討する上で重要となるファクターとは その3〜

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記

目次

前回までの振り返り


前回までを簡単に振り返りたい。


経緯


本稿は、申請主義の否定や批判は福祉の否定や批判だと述べたところから始まる。

その意図するところは、第1回の記事をご覧いただきたい。

 


今回は、前回に引き続き、権利侵害(申請上の課題)の態様を分類する上で、重要な要因となる「帰責性」を検討するためのキーファクターについて考えていきたい。

 

実現可能性


前回ご説明したとおり、申請主義を検討する上で重要となる3つ目のファクター、すなわち「能力」とは、事実ベース、具体ベースの実現可能性のことであった。

 

 

前回は、この「能力」の構成要素のうち、事実ベース、具体ベースというところまでご説明した。


今回は、能力の3つ目の構成要素である「実現可能性」についてご説明したい。


実現可能性は、最終的な効果の帰属の問題


「能力」を考える上で、実現可能性の問題についての検討は大変重要である。


なぜなら、これは「最終的な効果の帰属が、どのような力によって実現されるか」という問題だからである。


これだけでは何のことか分かりにくいと思う。

以下、具体的に見ていきたい。


帰属の実現主体は本人とは限らない


端的に言えば、「能力」は本人の力だけに頼る必要はないということだ。


そもそも、あらゆることを本人に求めるのは酷である。

言い換えれば、本人に能力があるのかどうか(すなわち、事実ベース、具体ベースでの実現可能性があるのか)の判断は、周辺状況も加味して考える必要があるということである。


事例(本人に重度の知的障害があるケース)


例えば、本人に重度の知的障害があるケースだ。

 

こうしたケースであっても、同居する家族が、本人に代わって一定の代理(的)行為を行うことができる場合もある。


この代理(的)行為による効果の帰属先は本人自身である。

すなわち、本人自身が自己決定することが難しい場合であっても、家族が本人の能力を補完することによって、本人の権利行使が阻害されることはないというケースである。


この場合の本人の能力の判断においては、実現可能性がある、ということになる。

この点が、非常に重要だ。


留意点


ただし、このケースについての留意点がある。

それは、本人の能力を補完する家族についても「能力」(前回ご説明したとおり、事実ベース、具体ベースの実現可能性の有無)を判断する必要があるということだ。


周辺状況を確認することなく本人に介入するのは福祉のエゴである


以上のとおり、能力を判断するに当たっては、本人以外の周辺状況を踏まえて判断しなければならないということである。


したがって、本人だけに着目して、本人に能力がないかと判断することは、大変危険なことだと言える。


ましてや、周辺状況を確認することなく、即本人の権利行使に介入するというのは、福祉に関わるもののエゴであり、本人の権利を侵害する可能性のある行為であることを指摘しておく。

 

周辺状況の慎重な観察が重要


重要なことは、周辺状況を慎重に観察することである。

現代社会においては、一見他者との関わりがないように見えても、何かしらの形で接点を持っていることが多い。


ソーシャルワークにおいて、本人、家族、周辺環境に関わっていくことは基本中の基本である。

この点について、ソーシャルワーカー、ましてや社会福祉士であれば、軽視することがあってはならない。


次回は帰責性の本質について検討する


ここまで、申請主義を検討する上で重要なファクターとなる3つの要素について検討してきた。

すなわち、登場人物、プロセス、能力の3つである。


能力については、さらに、3つの要素に分けて検討した。

すなわち、事実ベース、具体ベース、そして今回ご説明した実現可能性である。


これらの検討は、権利侵害(申請上の課題)の態様を分類する上で、重要な要因となる「帰責性」を検討するための前提として、申請主義に関わるファクターを緻密に分析してきたということである。


したがって、次回以降、ここまでの議論を踏まえて、いよいよ帰責性について検討していきたい。

 

#7 申請主義の課題を解決するための処方箋 その7〜権利侵害の態様とは 1〜 - さくらのソーシャルワーク日記

#5 申請主義の課題を解決するための処方箋 その5〜申請主義を検討する上で重要となるファクターとは その2〜

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記


前回までの振り返り


前回までを簡単に振り返りたい。


経緯


本稿は、申請主義の否定や批判は福祉の否定や批判だと述べたところから始まる。

その意図するところは、第1回の記事をご覧いただきたい。



帰責性


本稿では、自己決定に当たって生じる支障を「権利侵害」と述べた。

そして、この権利侵害の態様を分類する上で、「帰責性」を重要な要因と説明した。


ここでいう「帰責性」とは、申請主義において、適切に権利行使することが期待できる状況にあるかどうか、という意味で用いていることにご留意いただきたい。


申請主義を検討する上で重要となるファクター


帰責性の本質を検討するには、まず、申請主義を検討する上で重要となるファクターについて整理することが重要である。


ここは議論の中核であり、非常にボリュームがあるので、前回から引き続き、数回に分けてご説明したい。


前回は申請主義を検討する上で重要となるファクターのうち、「登場人物」と「プロセス」についてご説明させていただいた。



今回は3つ目のファクターとなる「能力」についてご説明したい。

 

目次


登場人物、プロセスに次ぐ第3のファクターは能力


さて、申請主義を検討する上で重要となるファクターの続きである。


「登場人物」、「プロセス」ときて、もう一つ重要なファクターがある。

それは、「能力」である。


能力と言っても、頭の良さとか、何か特殊な技術のことを言っているのではない。


能力とは、事実ベース、具体ベースの実現可能性


ここで言う能力とは、

  1. 事実ベース、
  2. 具体ベースの
  3. 実現可能性

のことである。


先のプロセスにおける視点として、「課題の発見・認知」を挙げさせていただいた。

これを事実ベース、具体ベースで実現するためには、何ができる必要があるのか考えてみたい。


ここでは、「生活の困窮」ということを例に挙げる。


事実ベースの理解


まず、生活の困窮という「事実」を認識できる必要がある。


事実とは何か。

 

  • 食べ物がない、
  • 食べ物を買うお金がない、
  • 貯金もない。

 

ごく単純化してしまえば、こうした事実が生活の困窮に関する事実となる。


これらに客観性はある。

しかし、問題は、具体的にイメージできるほどの具体性はないことだ。


いわば、「課題を抽象的に言語化したもの」と言える。


専門家によるカンファレンスの中では、(例えば)食べ物がない、という抽象的な表現を用いることも多いだろう。

議論を効率的な行うためには、言語の抽象化が不可欠だからである。


しかし、実際の支援の場面において、本人の状況や認知能力の確認を行う上では、この事実ベースにとどまっていては不十分だ。


そこで、次の具体ベースでの理解が必要となる。


具体ベースの理解


先の「生活の困窮」の例を具体レベルにするとどうなるか。


下は、上記の事実ベースを具体ベースに置き換えた例である。(事実ベース→具体ベース)

 

  • 食べ物がない→冷蔵庫には何も入っていない
  • 食べ物を買うお金がない→ 財布にはお金が一銭もない
  • 貯金もない→通帳には貯金残高がない


具体ベースに置き換えることで、グンとイメージしやすくなることがお分かりいただけると思う。

 

具体ベースに置き換える意義


先の例では、「食べ物がない」という事実ベースだけでは、具体的にイメージできないことが問題であった。


これを「冷蔵庫には何も入っていない」という具体ベースにしたことで、初めて食べ物がないということが具体的にイメージできた。

つまり、具体ベースにしたことで、食べ物がないという事実認識ができた、ということが重要なポイントだ。

 

これは、本人(あるいはその家族)にとっても同様である。


すなわち、こうした具体レベルで認知ができるかどうかが、本人の能力(生活困窮という課題を認知することができるかどうか)の有無を判断する上で重要だということになる。


重要な具体レベルの理解


今述べたとおり、重要なことは、具体レベルだ。


これをもう少し掘り下げていきたい。


具体レベルの掘り下げ


上記の具体レベルの例では、「物理的な存在」を前提としていることがポイントだ。

すなわち、「冷蔵庫、財布、通帳」である。


具体レベルでは、これらの「物理的な存在」の「状態」を何かしらの方法で確認(認知・確認・理解)できることが前提となる。

 

つまり、

  1. これらの場所について認知できる
  2. これらの役割について認知できる
  3. これらの状態を確認できる
  4. その状態が意味することを理解できる

ということが前提になる。


具体的な事例を見てみよう。


具体的な事例(通帳の例)


先ほどの通帳を例にすると、

 

  1. 通帳がどこにあるか知っている
  2. 貯金の意味が分かる
  3. 残高のページを確認できる
  4. いくら残っているか理解できる


ということになる。

そして、これは通帳がちゃんと記帳されていることが前提だ


課題の発見・認知は簡単ではない


こうして見てみると、生活の困窮ということ一つとってみても、課題を発見し、認知するということ自体が、実はさまざまなミニプロセスを経て実現されるものだということが分かる。

すなわち、必ずしも簡単なことではないということである。


次回は、能力の3つめの構成要素「実現可能性」


前述したとおり、能力とは、事実ベース、具体ベースの実現可能性である。


今回は、能力の構成要素のうち、事実ベース、具体ベースということについてご説明した。


次回は、3つ目の構成要素である「実現可能性」についてご説明したい。

#6 申請主義の課題を解決するための処方箋 6〜申請主義を検討する上で重要となるファクターとは その3〜 - さくらのソーシャルワーク日記

#2 市役所は申請主義の上にあぐらをかいているのか その2

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記


前回からの続きである。

前記事



市役所が本来の役割を果たしていないことが申請主義の批判に繋がっている


繰り返しになるが、申請主義とは、申請意思を示すことで権利行使することを原則とするものだ。

 


そして、申請意思は、通常は市役所などの行政機関に対して行われる。


にもかかわらず、市民の権利行使に応えるべき市役所が本来の役割を果たしていないのだとしたら、申請主義に対する批判に繋がってもおかしくない。

 

申請主義なんておかしい。

市役所が自ら対象者を特定して給付の対象にすべきだ。


市役所のいわば怠慢とも呼べるような状況に出くわしてしまったら、こう主張する論者が現れてもなんら不思議ではない。


しかし、本当に「市役所が自ら対象者を特定して給付すべき」なのだろうか?


市役所が自ら対象者を特定して給付すべきか?


この点は大変重要なので、例を挙げて検討したい。


生活保護の場合


生活保護は、言うまでもなく申請主義だ。

申請保護の原則により、申請意思がなければ保護を受けることはできない。

 

申請主義はおかしい。

市役所が自ら対象者を特定して給付の対象にすべきだ。

 

ある日、福祉事務所の職員が突然訪ねてきて、

「あなたを保護の対象にするので、生活状況を確認させてもらいます」

と言って、突然家の中に上がってくる。

そんなことが許されるだろうか。


○介護給付の場合


ある日、市役所の認定調査員が突然訪ねてきて、

「あなたを介護給付の対象にするので、認定調査をさせてもらいます」

と言って、突然家の中に上がってくる。

そんなことが許されるだろうか。

 

申請主義はおかしい。

市役所が自ら対象者を特定して給付の対象にすべきだ。


本当にそうだろうか?


職権主義(措置)が求められているのか


この点については、申請主義の対義語・反対語から考えてみたい。


○申請主義の対義語・反対語


申請主義の対義語、あるいは申請主義の反対語は、職権主義、すなわち措置だ。


これは、まさしく、

市役所が自ら対象者を特定して給付の対象にする

という仕組みのことだ。


申請主義はおかしい。

こう主張する論者がいる。


だとすると、申請主義はおかしいと主張する論者の結論は、職権主義、すなわち措置を原則とすべきということになる。


しかし、本当にそうだろうか?


○職権による保護は例外


生活保護においては、急迫した状況では、職権による保護が認められている。


しかし、職権による保護はもちろん例外的なものだ。


○申請主義を否定・批判している論者は職権主義までを求めていない


前述したとおり、申請主義を否定したり、批判している論者がいる。


こうした論者のほとんどは、申請主義を廃止して、職権主義、すなわち措置を原則とすべきだ、とまでは言っていない


これは申請主義を否定・批判することと矛盾しないか?


○なぜ、申請主義を否定・批判するのか


では、そうした論者は、なぜ申請主義を否定したり、批判するのだろうか。


一つの考えとしては、その方が世論の受けがいいから、ということだろう。


申請主義の定義を曲解し、誤用し、自らの都合の良い解釈をして見せれば、いかにも申請主義が悪者のように見えてくる。


○申請主義の定義を曲解・誤用したことのツケ


しかし、この手法は大変危険だ。


なぜなら、解決すべき問題を正しく定義しなければ、本質的な問題の解決を困難にするだけだからだ。


世論に自分の主張を都合よく見せたい、という気持ちは分かる。

しかし、本当に問題を解決したいと願っているならば、その気持ちは抑えなければならない。


そうした論者が、人の助けになりたいと願う気持ちは分かる。

だとするならば、そうした論者に必要なのは、申請主義は守るべき存在だと認めることだ、


問題なのは、申請主義ではなく、行政なのではないか?


言葉のもつ力


言葉の力は、とてもパワフルだ。

(言うまでもないが、言葉とは発語のことを指しているのではない。)

世の中の全ての問題は、言葉によって解決されると言ってもよいほどだ。


逆に、言葉がなければ、世の中の問題は解決されねいだろう。

だからこそ、議論の前提となるの言葉には拘らなければならない


申請主義を否定・批判する論者に聞きたい。

申請主義の壁ではなく、行政の壁ではないのか?


○多くの申請主義の否定・批判は申請主義を曲解・誤解している


言葉の綾(あや)だという人もいるかもしれない。

しかし、これは綾でもなんでもない。

単なる、曲解であり、誤用だ。


まず、この点を認めるべきだ。


○問題の本質的な課題を解決するためには、申請主義を否定・批判したい気持ちを抑えなければやらない


確かに、申請主義を否定したり、批判したりすることは、とても分かりやすい。


しかし、問題の本質的な課題を解決したいと思っているならば、申請主義を否定したい、批判したいという気持ちをぐっと抑えるべきだ。


申請主義は守るべきもの


そして、繰り返し述べているように、申請主義を否定したり、批判することは、個人の尊厳を否定、あるいは批判することだ。

この事実を、そろそろ認めるべきだ。


申請主義は守るべきものだ。

批判すべきは、行政だ。

改善すべきは、解釈や運用だ。


福祉の本質を理解しているならば、個人の尊厳を守りたいのならば、本質的な問題を解決しなければならない。


申請主義の否定や批判に逃げてはだめだ。

#1 市役所は申請主義の上にあぐらをかいているのか その1


申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記

※本稿では、市役所を行政機関のうち主に地方自治体を代表するものとして使用していることにご留意いただきたい。

 


市役所に対する批判と申請主義


申請主義に関する議論の中で、市役所に対する批判は多い。

 

市役所は待っているだけ。制度があることを教えてくれない。

聞いても、教えてくれない。

窓口に行っても、申請させてもくれない。


信じられないようなことだが、これらは実際に起きていることだ。


そして、この原因が申請主義によるものだとしたら、それはとんでもないことだ。


申請主義とは何か


申請主義とは何か。

これについては、私の過去記事で、詳細に説明させていただいている。

端的に言えば、

「申請主義」とは「意思表示によって権利行使することを原則とする」

という意味である。


この意思表示は、通常、市役所などの行政機関に対して行われる。

ここが大変重要なポイントだ。


すなわち、市役所が申請主義において極めて重要な役割を担っているということを、まずしっかりと認識したい。


市役所の役割


市役所の役割については、言うまでもないかもしれないが、念のため確認しておきたい。


市役所の役割をごく単純化すれば、

 

  1. 市民生活に関わる様々な制度や手続きについて周知し、
  2. 市民から申請意思があれば、速やかに手続きを開始しなければならない


ということだ。


申請主義において、市役所の責任は極めて重要であり、しっかりとその役割を果たしてくれなければならない。


しかし、実際にはどうだろう。


前述したとおり、現実には、怠慢とも言える市役所の実態がある。

そして、この結果、市役所に対する不満が噴出しているのである。


申請主義において重要な役割を果たすべき市役所で、なぜ、このようなことが起きているのだろうか。


これは、いったいどういうことなのか?

次に、市役所の怠慢的な態度の根源が何か考えてみたい。


行政には自浄作用がない


この点について、私は次の記事の中で、

「行政(役所)の職員はなぜ不親切なのか?」

として、行政の問題点について論じている。

興味のある方はご覧いただきたい。(シリーズ継続中)

この中で私が述べていることを端的に言えば、

市役所には、自浄作用がない。

この一言に尽きる。

つまり、外圧がなければ、さまざまな問題が改善されにくい組織なのだ。


市役所は不親切だ


先の記事の中でも述べたが、市役所と関わりを持ったことのある人であれば、市役所の職員は不親切だと感じたことが一度はあるのではないか。


私自身、市役所の職員は不親切だと感じたことのある一人である。


愛想がない、上から目線、聞いたことしか答えない。

それでも、最終的に必要な手続きが済めばまだましだ。


人を変え、時間をかけて、何度も同じことを説明した挙句、ここでは手続きができないとか、必要な書類が不足しているとか、分かる職員がいないなどと言って、出直す羽目にでもなれば怒り心頭だろう。


ご説明は佳境にさしかかっているが、長くなったので、この続きは次の記事でご説明したい。


次記事

市役所が本来の役割を果たしていないことが申請主義の批判に繋がっている

#4 申請主義の課題を解決するための処方箋 その4〜申請主義を検討する上で重要となるファクターとは その1〜

申請主義とは 〜正しい定義こそが本質的な課題解決のためのスタートラインだ〜 - さくらのソーシャルワーク日記

前回までの振り返り


本稿は、申請主義の否定や批判は福祉の否定や批判だと述べたところから始まる。その意図するところは、第1回の記事をご覧いただきたい。

 


ここまで(第1回から第3回)、権利侵害(すなわち意思決定における支障)の態様を分類整理する前提として、当事者や社会課題に応じて検討すべきことを述べた。


本稿では、前回に引き続き、権利侵害の態様を分類する上で、重要な要因となる「帰責性」について考えていきたい。

非常にボリュームのある内容なので、複数回に分けてご説明したい。


帰責性とは


ここでいう「帰責性」とは、申請主義において、適切に権利行使することが期待できる状況にあるかどうか、という意味で用いていることにご留意いただきたい。


申請主義に介入する前提として分析的な視点が不可欠

 

前回(第3回)は、申請主義の課題を検討する上で重要な帰責性を議論する前提となる、分析的な視点についてご説明させていただいた。



申請主義は福祉の根幹であり、ここに介入していくことは、極めて慎重にならなければならない

前回ご説明した、分析的な視点が求められているのは、まさにこのためである。

したがって、ソーシャルワーカー、ましてや社会福祉士が申請主義を軽々しく批判、ましてや否定することが許されないことは、繰り返し伝えたい。


さて、その上でということになるが、今回はいよいよ、申請主義の課題を検討する上で重要となる「帰責性」の本質について検討したい。


整理分類の目的は、本質的な問題の発見


帰責性の本質を検討していく上で、「ロジカル」に、その要因を整理分類していくことが必要だ。

理由は明快である。


繰り返しになるが、申請主義の議論は分析的な視点が不可欠だ。

権利侵害に関わる問題である以上、この議論は極めて慎重に議論される必要があるからだ。


そして、これは同時に、申請主義の本質的な課題の一端をあぶり出す作業でもある。


課題を解決する上で、どこに本質的な問題が生じているのか、これを明らかにすることが重要だからだ。


申請主義を検討する上で重要となるファクター

 

帰責性の本質を検討するには、まず、申請主義を検討する上で重要となるファクターについて整理することが重要になる。


申請主義を検討する上で重要となるファクターは、言うまでもなく、一つではない。

大小さまざまなものがあるが、ここでは、大きく3点に絞ってご説明したい。


具体的には、

  1. 登場人物
  2. プロセス
  3. 能力

の3点についてご説明する。


登場人物


1つ目のファクターは登場人物だ。

ここでは、具体的にイメージすることが大切になってくる。

なぜならば、我々がやろうとしたいることは、机上の空論ではなく、現実の課題を解決することだからだ。

 

早速、登場人物をイメージしてみよう。

具体的な登場人物で言えば、

  • 本人、家族
  • 行政
  • 民間事業者
  • その他、本人や家族に関わる大勢の人

などが思い浮かぶだろう。

 

もちろん、具体的な事例に当てはめれば、もっとたくさんの登場人物がイメージできると思う。

ここでは、頭の中に浮かんだ登場人物を、出来るだけ具体的に言葉にしていくのがポイントだ。

 

プロセス

 

2つ目のファクターはプロセスだ。

プロセスは目に見えにくいかもしれないが、「認知や行動」をベースに考えていくと分かりやすいと思う。

 

具体的なプロセスで言えば、

  • 課題の発生・認知
  • 情報の収集・認知
  • 相談
  • 申請
  • 給付・支援の開始
  • フォロー

などがある。

 

プロセスを考えるときは、このように認知や行動の順に考えることが重要だ。

1つ目の、課題の発生・認知などは、その端的な例だ。


プロセスはハイレベルで見ていくことが重要


プロセスを見ていくときに大事なことは、大まかなハイレベルのプロセスを見ていくことだ。


この点については、別途ご説明したいと思うが、プロセスに関する議論については、極めて重要な視点がある。

すなわち、瑣末なところを取り上げても、対処療法に終わってしまうということだ。

いわゆる、もぐらたたき状態になってしまうということだ。


プロセスにおいては、根本解決を目指すべき


プロセスにおいては、必ずボトルネックが存在する。

それを解決しなければ、問題は根本的には解決しない

そのためには、ハイレベルのプロセスの把握が必要であるということを、ここではお伝えしておく。

 

次回は3つ目のファクター「能力」


今回は申請主義を検討する上で重要となるファクターのうち、登場人物とプロセスについてご説明させていただいた。

次回は3つ目のファクターとなる「能力」についてご説明したい。

#5 申請主義の課題を解決するための処方箋 5〜申請主義を検討する上で重要となるファクターとは その2〜 - さくらのソーシャルワーク日記