申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か? その8
本稿は、申請主義が行政の財政負担を軽減しているというのは本当か?ということについて検討しているものです。
第1回では、申請主義の権利性を確固とするため、私たち福祉関係者が取り組む必要のある、解決すべき課題を3点を挙げさせていただきました。
すなわち、
- 行政からの情報提供の不十分性
- 未申請(申請しない・できない)による漏救の放置
- 申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪
の3点です。
本稿では、3点目の「申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪」について、前回から引き続きご説明していきます。
以下、本稿の構成です。
- 申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪
申請前に申請を諦めることによる権利性の収奪
前回の振り返り
前回は、山下(2015)の「3類型の区分け」、すなわち、
- 「(a)市民による申請行為以前の段階」
- 「(b)申請の段階」
- 「(c)特定の給付に関する受給権が生じた後の段階」
の3類型のうち、(a)類型(市民による申請行為以前の段階)における裁判例について触れました。
すなわち、
「重病児の親の窓口相談に対する市の窓口担当者の対応が違法な行政指導であるとして市の国家賠償責任が認められた事例」
です。
この事例では、
- 子が特別児童扶養手当の受給要件を満たしていた親が、
- 窓口で対応した職員が、援助制度はないと案内をされたため、あきらめて帰宅した
というものです。
- この事例では、特別児童扶養手当の受給要件を満たしていました。
この事例において、裁判所は、
- 一般的な周知義務は否定したものの、
- 窓口における情報周知について、「条理」に基づき、
- 行政の法的義務を認め、
- 国家賠償法の義務違反として、賠償責任を認定した
というものです。
山下は、この裁判所の判断について、
「本判決が、明文規定(の解釈)によらずに情報提供等の法的義務を認めた点において、永井訴訟控訴審以来の議論状況を一歩先に進めたことについては異論がなかろう」
と述べています。
この指摘について、私も基本的には同意するものの、次の点で、詳細な検討が必要と考えています。すなわち、
- 山下の3類型のうち、「(a)市民による申請行為以前の段階」として分類しているものは、さらに、
- 1)広報等による一般的な周知段階と
- 2)窓口における周知段階(制度を特定する前の段階)
- の2段階に分けて整理すべき。
- このうち、裁判所が行政の裁量に委ねられていると判断した1)の段階こそ法的義務を認めるべき。
- さらに、第2段階について、「条理」に基づき、解釈上法的義務が認められるとしても、法律上、法的義務を明記すべき。
- ただし、法的義務を明記する上では、その内容については慎重に検討が必要。
以上の4点です。
今回は、これらの点について、裁判例を踏まえ、行政の情報の周知義務について、さらに踏み込んで検討したいと思います。
論点は一般的な周知義務
ここでの大きな論点は、一般的な周知義務です。
重病児に係る本裁判例では、
- 窓口における周知義務を認めたものの、
- 広報などの一般的な周知義務については、これまでの裁判例と同様に認められませんでした。
この点が、非常に大きな問題だと考えています。
広報などの一般的な周知義務について、長尾(2012)は次のように述べています。すなわち、
「広報・周知の実施については, ある程度広い行政裁量を認めざるをえない」
つまり、広報などの一般的な周知義務を行政に課すことは難しいということですが、私は、ここは諦めるポイントではないと考えています。
一般的な周知義務の重要性
これまで述べてきたように、申請の機会を守ること、これが大変重要だと考えています。
申請機会の確保は、その後の裁判上の救済に繋がるという意味で、権利擁護の最たるものだからです。
そして、この権利を守るためには、利用者本人、家族を含む広く国民が制度について認知する過程が不可欠です。
なぜなら、行政や社会福祉士を含む社会福祉関係者の力だけで、全ての国民の権利を守ることは難しいからです。
申請主義からアウトリーチを主張する論点のずれ
この点、申請主義からアウトリーチへの移行などと主張する人がいますが、論点がずれています。
申請主義は権利の発現の「ルール」、すなわち決まりごと、あるいは考え方を説明する概念です。
アウトリーチは権利発現を含む支援のための手段や過程を説明するもので、そもそも、申請主義とは概念の「次元」が違います。
次元が違うものを同じ土俵に乗せようとするので論点がずれ、議論にならないのです。
申請主義からアウトリーチへと主張している人は、議論が噛み合うためにも、この議論のずれについて認識する必要があるでしょう。
国民全体の福祉制度に対するリテラシーの向上が不可欠
さて、アウトリーチを行政がやるのか、民間がやるのかはともかくとして、全ての人が取り残されない社会を築いていくためには、国民全体の社会福祉制度に対するリテラシー、すなわち基礎的知識の向上を図ることが不可欠です。
国民の権利を守り、福祉国家としての我が国の礎を確固たるものにするには、国民と社会福祉制度の接点の裾野を広くしていくことこそが重要だからです。
この点で、私たち福祉関係者は、個人個人の支援を通じて、福祉国家の発展に寄与しているのだという意識を持つことは、大変重要と思います。
ソーシャルアクションに関する議論のずれ
この点、ソーシャルアクションこそが重要と主張する人がいます。
言わんとしていることは、個人の問題を社会課題としてとらえ、制度や仕組みを変えていくことで課題解決していこうということです。
しかし、これも論点がずれていると言わざるを得ません。
そもそも、ソーシャルアクションは手段であって目的ではありません。
そこからして、履き違えています。
制度や仕組み、もっと言えば社会を変えていくということは、国民、あるいは住民の総意によって果たされるものです。
考えるまでなく、国民の総意によるということは、民主政治の根幹です。
すなわち、民主政治の主役である国民の総意の発現こそが重要であるということです。
国民というのは、一人一人の個人です。
この一人一人の個人の意思の発現があって初めて制度や仕組みの変革に繋がっていくということです。
ソーシャルワーカーの倫理綱領を持ち出すまでもなく、社会福祉士を含む、われわれ福祉関係者が社会に働きかけていくことは大変重要です。
しかし、ソーシャルアクションを、個人の問題を社会課題として捉え、制度や仕組みを変える、あるいは新たに創るということに主眼を置くのであれば、それはソーシャルアクションではないと考えます。
端的に言えば、それは「行政が制度を作っているのと何ら違いはない」ということです。
この点についても、他の機会にご説明したいと思います。
山下の分類に基づく「4分類」
さて、話をもとに戻します。
裁判所は、一般的な周知義務と窓口における周知義務を分けて判断しています。
とするならば、山下の分類は、以下のように改変すべきということになろうと思います。すなわち、
- 広報等による一般的な周知段階
- 窓口における周知段階(制度を特定する前の段階)
- 申請の段階
- 特定の給付に関する受給権が生じた後の段階
の4分類です。
上記の1と2は山下のいう「(a)市民による申請行為以前の段階」を2段階に分類したものです。
以下では、このうち、1と2の段階、すなわち、山下が
「(a)市民による申請行為以前の段階」
と述べた点について、先ほどの裁判例をもう一度確認したいと思います。
一般的な周知義務に関する裁判所のロジック
まず、この一般的な周知義務を課すことが難しい根拠について、先の重病児に係る裁判例を見てみます。すなわち、
「制度の周知徹底や教示等の責務が法律上明文で規定されている場合は別として、
具体的にいかなる場合にどのような方法で周 知徹底や教示等を行うかは、原則として、制度に関与する国その他の機関や窓口における担当者の広範な裁量に委ねられて」いる
(改行は私が挿入しました。)
つまり、ここはとても単純なロジックで、法律に書いていないから、義務付けできないということを述べているわけです。
逆にいえば、
法律に周知の方法や内容を具体的に書き込めば、法的義務を課すことは可能だ
ということになります。
一般的な周知を法的義務とする際の課題
この点、一般的な周知義務についても法律上、法的義務を課すべきだと主張する人がいます。
私も、法的義務を課すことには賛成です。
しかし、ここは、以前の記事にも書きましたが、慎重な議論が必要なところです。
下手な法的義務を課すと、それを盾にして、「義務を果たしている」と行政に開き直られる可能性があるからです。
例えば、次のような定めをしたとします。
「省令の定めるところにより、制度に関する必要な周知をしなければならない」
これ自体はよくありそうな規定です。
しかし、これには2つ問題があります。
法律が骨抜きにされる問題
1つ目は、省令(この事例の場合)に委ねてしまった場合、省令の内容如何によっては、法律上の義務が骨抜きにされてしまう可能性があるということです。
骨抜きにされないよう、法律上の何かしらの措置が必要です。
やりっぱなしになる問題
2つ目は、前述の繰り返しになりますが、単に「周知しなければならない」とした場合、周知するだけで行政が義務を果たしたということになってしまいます。
つまり、やりっぱなしという問題が生じる可能性があるのです。
やりっぱなしというのは極めて悪質な問題を秘めています。
すなわち、周知の結果、国民、あるいは住民の制度に対する認知度上がったのか、あるいは、どの制度に対する認知度が低いのかという効果検証ができないということです。
一般的な周知を法的義務とする際のポイント
私としては、この2つの問題について、以下のように考えます。
PDCAサイクルの導入
端的には、法律上、PDCAサイクル、すなわち、効果検証の仕組みを導入するということです。
詳細は省令や大臣告示、あるいは通知に落としていくことは構いませんし、立法技術として当然そうあるべきです。
しかし、法律上、明確に効果検証の仕組みを示すべきです。
多様な周知方法はそもそも法形式に馴染まない
一般的な周知方法について義務化できない最大の理由は、周知方法が多岐に渡っているからです。
もちろん手段によっては、費用が高額になる場合(例えば、新聞広告や電車の中吊広告などがイメージしやすいでしょうか)もあります。
地域性の問題もあります。
地域によっては、自治会や町内会のような地域組織を活用した方が良い場合もあるでしょうし、都市部への通勤者をターゲットにするのであれば、電車の中吊り広告も選択肢になるかもしれません。
こうした地域の特性や事情に左右されることを、アウトプットベース、すなわち「やる事」として網羅的に示すことは困難です。
これは法律で定めるべきことではありません。
仮に国通知レベル、義務連絡レベルであったとしても、やるべきこととは思えません。
これが、法律上、一般的な周知義務を課すことができなかった大きな理由だと考えます。
やり方ではなく効果検証を義務付けるべき
であれば、法的義務について次のように考えるべきです。すわなち、
- 法的義務は課すけれど、
- やり方は地域の特性や事情に応じて実施して良い。ただし、
- PDCAサイクルを導入して、効果検証を必ずやること
とするということです。
議会の重要性
そして、もう一つ挙げておきたいのは、議会への報告です。すなわち、法律に定めるべきこととして、
- 効果検証の結果を議会に報告しなければならない
とすべきだと考えます。
情報の周知義務を課すという論点はこれまでも議論されていると思います。
もちろん、効果検証に言及した主張もあったと思いますが、議会への報告まで言及したものは少ないかもしれません。
しかし、私は極めて重要なポイント思います。
すなわち、
- 地域性に基づくものであるからこそ、
- そのチェックは、
- 地方公共団体の議事機関であり、住民から直接選挙された議員で構成される機関である議会が行うべき
と考えるからです。
プレイヤーは行政だけではない
よく、行政への義務付けと言いますが、義務付けすべきは行政に限らないと思います。
この点、申請主義の議論の中で、「利用者対行政」という構図を利用する人がいます。
しかし、これは間違った考えです。
福祉に関わるプレイヤー、すなわち関係者は、仮に申請主義という切り口で見たとしても、多岐にわたります。
行政は主要なプレイヤーではありますが、行政だけがプレイヤーでもありません。
そこには、議会や私たち福祉関係者、福祉以外の専門職、あるいは、当事者以外の一般市民など、数えきれないほどの人が関わっているわけです。
義務付けするのであれば、我々福祉関係者も然るべき義務を負うべきです。
言いたいことは、行政にだけ義務付けして解決する問題ではないということです。
行政の効果検証をチェックする機関として議会が最適
行政のアウトプット、そしてアウトカム、すなわち施策とその成果という因果関係を、しっかり行政に効果検証させることが重要です。
そして、行政の効果検証の結果を、しっかりチェックする役割は、議会が最も適任であることは言うまでもありません。
国の役割
アウトプットについて、地域の実情等に委ねることが適切であると述べました。
しかし、効果的な周知方法については、いくつかの方向性やパターン、手法というものが存在します。
端的に言えば、ノウハウがあるわけです。
国は、少なくとも技術的な助言として、地方に対する責任を負っていることは言うまでもありません。
その中でも、私は次の点については、広報などの媒体における内容まで踏み込んで、「助言」すべきと考えます。
分かりにくい現在の広報
これは、別記事でも述べましたが、現在の行政の広報(ホームページを含む)は大変情報が探しにくいと感じています。
これは、ひとえに行政の分野別、例えば、子育て、教育、文化といった内容で整理されているためです。
縦割りの行政組織においては、こうした分野別に編集・整理することが楽なのかもしれませんが、情報を必要としている当事者からすれば分かりにくいことこの上ありません。
情報が見つからない
例えば、子ども・子育てという切り口でも、
- 申請が必要な手続きの周知(児童手当の更新手続きなど)
- 相談機関の紹介(子育て支援センターなど)
- ひとり親への支援制度の周知(ひとり親医療費助成など)
- 子育てセミナーの案内(初めてパパママ教室など)
- 里親の啓発周知(里親月間週間など)
このように、さまざまな情報が入り組んで掲載されています。
自分な必要な情報があるかどうかは、全部読んでみないと分かりません。
かくして、誰も広報をを読まないという現象が起こるわけです。
行政の文章も分かりにくい
また、行政から送られてくる文章(多くは申請を勧奨する通知で返信が必要なことも多いと思います)はとても難解です。
頑張って読まないと内容が理解できないものも多いと思います。
行政としては周知の義務を果たしていると言い張るのかもしれません。
しかし、読まれない・理解されない情報は、周知されていないも同然です。
情報は認知されて初めて意味を持つ
情報は「認知」されて初めて意味を持ちます。
したがって、情報が認知されるようにしなければ、いくら義務付けをしたところで意味はありません。
先ほど、PDCAサイクルを導入して効果検証をすることと書きましたが、トライアンドエラー、すなわち試行錯誤しながらこのサイクルを回していくのは非効率的です。
国が効果的な情報周知の「具体的な手法」を含めて、技術的な助言をすることが求められます。
具体的な内容は、先ほどの私の記事でもご紹介していますので、興味のある方はご覧になってください。
一般的な周知義務に関する整理
さて、以上見てきたことを整理すると、
- 一般的な周知義務について、法律上義務付けていくことが必要。
- 義務付けは、「法律レベルで」効果検証の仕組みを求めることが必要。
- さらに、効果検証の結果を議会に報告して、議会がチェックに関与することで効果検証の担保をすることが不可欠。
- そして、周知の「具体的なやり方」まで国が踏み込んで助言することで、確実に国民、住民に認知されるようにする
以上が、一般的な周知に関する義務付けの全貌です。
先に述べた通り、ここは非常に重要な論点です。
- 法律で義務付けすることを諦めることなく、
- また、ただ盲信的に義務付けすべきと述べるのではなく、
- 国に対して、具体的な解決策を示していく。
これこそ、私たち、福祉関係者に求められている姿勢ではないかと思います。
次に、第二段階の周知義務、すなわち、窓口における周知について述べたいと思います。
以下は、次回に送ります。
(参考文献)
山下慎一「社会保障法における情報提供義務 に関する一考察」(2015)
長尾英彦「行政による情報提供 : 社会保障行政分野を中心に」(2012)
高藤昭「社会保障給付の非遡及主義立法と広報義務 永井訴訟京都地裁判決(本誌751号238頁)の検討をとおして」判例タイムズ766号39頁以下(1991)
赤石壽美「生存権保障下における「漏救」の法的系譜」(2003)